1995(平成7)年10月


1日■窓 バスの老人席本当に必要か 北区・福田保夫(無職・72)(京都)
2日■たゆみなくI はるか女性車掌 好調な陰で支え合う(京都)
  ■駆け込み乗車 女性に目立つ 仮説と逆の結果に JR総研が調査(京都)
3日■地下鉄東西線 「開業準備室」を設置 京都市交通局 19人の人事異動発令(京都)
  ■地下鉄東西線開業へ組織改正と異動発表 京都市交通局(朝日)
  ■駅清掃サービス 若手を採用し充実 阪急電鉄(京都)
  ■新システムでキセル防止はかる阪急 収入確保へ最後の切り札 開発望めず値上げも困難に(朝日)
  ■阪急沿線 ドラマの舞台に 復興の町アピールしたい 関西の電鉄で初 撮影規制を解除(朝日)
  ■地下鉄サリン 遺族、賠償提訴へ 麻原被告らを相手に(朝日)
  ■駅前で刺され JR助役死亡 水戸、容疑者を逮捕(朝日)
4日■望見KANSAI 次世代新幹線車両 大阪−東京間 所要時間 約半分に(京都)
  ■窓 JRの駅施設 弱者に配慮を 甲西町・鈴木 強(事務員・45)(京都)
  ■「装置置いた」中川被告供述 新宿・青酸ガス事件(朝日)
5日■特急停車のゴルフ場が完成 山陰線胡麻駅 朝夕に各1 本 JR出資で”恩典” 丹波町(京都)
  ■雷に弱〜いハイテク制御 少電流でも作動 信号など被害14件 JR西日本「天に祈る気持ち」!?(朝日)
6日■窓 駅員の対応で残念な気持ち 右京区・小田法子(主婦・29)(京都)
  ■「鉄道の日」SLと遊ぼう 14、15日に梅小路フェス(京都)
7日■市電100年記念し 共通金額カード 14日から市交通局(京都)
  ■近鉄生駒トンネル火災 出火予想できず 大阪地裁 元電設会社社長に無罪(京都)
  ■生駒トンネル火災 大阪地裁 「出火予見できず」(朝日)
  ■ビジネス戦記 「ひかり」とともに JR東海会長 須田 寛(朝日)
8日■六甲ロープウェーが再開(京都)
  ■園児の絵乗せチンチン電車 京福嵐山本線走る(朝日)
10日■脱線、100人以上が死傷 米で特急妨害工作情報も(京都)
11日■「巨大な迷路」返上へ 統一案内板が登場 ダイヤモンド地下街(朝日)
12日■大阪−今治バス申請(朝日)
  ■米で列車転覆テロ?79人死傷(朝日)
13日■大阪市域の高架化完成 南海、来月から運行(京都)
  ■洛中洛外(京都)
  ■全構内で終日禁煙に(朝日)
14日■来月から終日禁煙 大阪地下鉄とニュートラム すべての駅構内(京都)
  ■JR西日本株 上場延期を運輸相示唆(朝日)
  ■神戸で震度4 深夜のグラリにドキリ 仮設で「あの時」頭よぎる(朝日)
15日■SLの前でにっこり 「'95梅小路フェスタ」(朝日)
16日■地下鉄サリン 発散は6電車で計画 実行犯供述 「捜査招く」不安視も(朝日)
17日■大阪駅起点の運賃表を発刊 JR全駅、ひと目で(京都)
  ■窓 バス運転手の心ない一言 伏見区・内海敬子(無職・68)(京都)
  ■地下鉄サリン まく計画知らなかった 中川被告 指示に逆らえず製造(京都)
  ■JR北海道・四国・九州 近く値上げ申請 民営化後初(朝日)
  ■サリンなど大半の事件 麻原被告指示認める 当局が録音(朝日)
  ■駅内に火炎瓶 壁など焦がす 地下鉄谷町四丁目(朝日)
18日■窓 お答えします 「駅員の対応で残念な気持ち」について JR西日本京都支社総務企画課長・坂本英浩(京都)
  ■電車内でまた爆発 パリ 乗客28人が重軽傷(京都)
  ■早朝、新幹線遅れる 広島でポイント損傷(京都)
19日■JR西日本が冬の臨時ダイヤを発表(京都)
  ■姫路駅からも関空直行快速 JR冬の臨時ダイヤ(朝日)
  ■橋梁の枕木11本焼く 下京のJR奈良線(京都)
  ■近鉄京都線で痴漢 容疑の京都市職員逮捕(京都)
20日■私の提言 よみがえれ神戸 レールをつなぐ@ ダイヤ改正 激烈な戦い 森長勝朗(京都)
  ■鉄道部品の即売会 きょうから大津駅で(京都)
  ■声 近ごろ電車で 母子を見ない 河内長野市原 原 貞三(無職 69歳)(朝日)
  ■電車内で女性にわいせつ行為 容疑の京都市職員逮捕(朝日)
  ■まくら木燃える JR奈良線の橋げた(朝日)
21日■JR山科駅前再開発事業 ”核”B棟 26日起工 出店予定の大丸 京都市と交渉へ(京都)
  ■私の提言 よみがえれ神戸 レールをつなぐA 新幹線復旧の日、涙も 高永 彰(京都)
22日■きらり日曜 きずな求めて外 鉄道復帰めざし 仲間や地域との共生 JR不採用と国労闘争団(京都)
  ■地下鉄サリン 謀議認める 麻原被告供述 「幹部が持ちかけた」(朝日)
23日■国連総会で米大統領 地下鉄サリン事件に言及 テロ対策重要性訴え(京都)
  ■地下鉄事件前 麻原被告 サリン製造指示 車中で遠藤被告に(京都)
  ■SL北びわこ号雄姿 記念テレホンカード 長浜観光協が発売(京都)
24日■私の提言 よみがえれ神戸 レールをつなぐB 沿線住民の協力に感謝 中尾智俊(京都)
  ■サウンドフィールド京都 L 中川 真 消えゆく音 耳に残るSLの汽笛の音 新京都駅ばどんな音が…(京都)
  ■中川被告初公判 強制捜査阻止が目的 地下鉄サリン、検察側主張 首都大混乱を狙う 麻原被告の指示で 東京地裁(京都)
  ■中川被告初公判 教祖揺るがす震源 裁判の中核 教壇の闇知る立場(京都)
  ■中川被告初公判 検察側冒頭陳述骨子(京都)
  ■オウム裁判 「サリン」悔悟の言葉なし 中川被告初公判 無差別殺人裁きの場に 「尊師らの共謀知らず」(京都)
  ■平均7−8%値上げ申請 JR北海道、四国、九州(京都)
  ■首都の大混乱ねらう 検察側が冒頭陳述 捜査迫り危機感「警察組織に封打撃を」(朝日)
  ■地下鉄サリン中川被告初公判 起訴事実 大筋認める(朝日)
  ■7−8%値上げ申請 民営後初めて 1%圧縮、来春実施へ JR北海道・四国・九州(朝日)
  ■「空」との競争力、ダウンは必至 JR3社の値上げ申請 近畿−九州・四国 「企画切符」は据え置き方針(朝日)
25日■地下鉄サリン 全容明らかに 首都騒乱目的に敢行 「警視庁近く狙え」 井上被告提案 600cずつ11袋に 中川被告初公判冒頭陳述(京都)
  ■地下鉄サリン事件 中川被告初公判 検察側冒頭陳述の全文(京都)
  ■「大事なことは尊師が決定」 地下鉄サリン 中川被告初公判 林被告らの供述調書明らかに 背景に最終戦争思想 東京地検(京都)
  ■出た350` JR東海「300X」試運転 加速グイッ 揺れ少なく 京都−米原間(京都)
  ■私の提言 よみがえれ神戸 レールをつなぐC 夜徹し74日で全線復旧 常石喜計(京都)
  ■窓 毎朝心地よい駅員さんの声 長岡京市・土佐保子(会社員・42)(京都)
  ■ガラガラはるかで 荷物送ります!! JR西日本京都−関空間(朝日)
26日■大原−比叡山 ロープウエー「京阪」断念 歴史的特別保存地区 都計審指定承認で(京都)
  ■4年越しの景観論争に幕 大原−比叡山ロープウェイ計画撤回 反対の声に勝てず 地域活性の課題も残す(京都)
  ■私の提言 よみがえれ神戸 レールをつなぐD 目前に砂煙、電車浮いた 中嶋 康正(京都)
  ■「逃げ回る気か」怒る遺族 引き延ばし作戦だ 罪認めさす日 また遠のいた(京都)
  ■オウムに賠償提訴 地下鉄サリンの第一次(京都)
  ■登校の中2生 電車にはねられ死亡(朝日)
  ■遺族ら賠償請求 地下鉄サリン29人で7億円(朝日)
  ■京の新しい玄関口に 中核ビル起工式 山科駅前再開発(京都)
27日■不採用の4人救済 JR2社に命令 神奈川事件で中労委(朝日)
28日■JR西日本2年連続の上場見送り 被災と市況低迷続く(朝日)
  ■新車両で復興へ出発 阪神で試乗会 車体の色も変更(朝日)
29日■「のぞみ」立ち往生 トンネルの中で停止(朝日)
30日■ひまわり号に夢と歓声乗せて 列車の旅 障害者ら満喫 京都−宝塚 遊園地で お弁当や散策も(京都)
  ■青春改札口 中学生のページ 森のひみつ 山おくと都会つないだ鉄道(京都)
  ■地下鉄火災、300人死亡 アゼルパイジャン 首都のバクー 走行中に発火(朝日)
  ■声 JRの3社は暫定値上げで 笠岡市 山下 坦(無職 64歳)(朝日)
  ■シートがはがれて 架線と接触が原因 「のぞみ」の立ち往生(朝日)
31日■阪神の5電鉄共通券の愛称 スルッとKANSAI 向日の上田さん作品(京都)
  ■「爆弾テロ」か バクーの地下鉄火災(朝日)



1日■窓 バスの老人席本当に必要か 北区・福田保夫(無職・72)
 26日付バスの老人席についての投稿を拝読した。こういうことは繰り返し書く必要があると思う。読んでいない人、他の新聞の人…いろいろだから。
 片側の一列普通席に平然と座ってられる老人も、乗車された時は老人席が満席であったのかもしれないし、老人席があいたからと移るのはちょつと危険だし、強制もできまい。老人席があるためか、あぶなかしく老人が立っていても「代わりましょう」という人も少ないようだ。若い人でも病気の人もいるし、重い荷物をもって疲れている時もあるだろう。
 それに修学、観光の人々と見れば、疲れていられるだろうなとまず思い、お客様だと気もつかう。「どうぞ、どうも」と、シートの色がかえられてあるくらいでは、よそから来られた人々にはわからぬだろう。
 数年前、私もある県のバスでひどくしかられた。知らなかったのだ。旅行社や学校の先生方も、生徒さんたちに一応知らせておく必要がありそうだ。「老人席」などいっそない方が…とまで思うくらいである。(京都新聞)
2日■たゆみなくI はるか女性車掌 好調な陰で支え合う
 改築中のJR京都駅。関西空港と結ぶ特急「はるか」の専用ホームに発車のベルが鳴り響いた。ペアルックのカップルや若者のグループがスーツケースを押して車内に乗り込むと、にこやかな顔が一瞬、厳しくなった。
「初日に乗務した時のことは、思い出そうとしても何も覚えていません。あっと言う間の出来事でした」
 徳平さんが乗る「はるか」は、JR西日本が関西空港の開港にあわせて運行を始めた。「9月4日で1周年になり、乗っていただいたお客さんも100万人に近づいています」。好調さを陰で支えているのが、徳平さんら女性車掌たちだ。車掌は、長く男性だけの世界だった。JR西日本でも女性が「切符を」と車内を回っているのは「はるか」だけだ。
・自分の可能性に挑戦
 女性車掌の1期生は13人。いずれもJR社内の他部門から転身した。徳平さんも前は、「TIS」という旅行部門にいた。JRに入ったのは「旅行などの仕事にあこがれたから」。「社内で女性車掌を募集している」と知った時、最初は迷った。男性だけの社会に入ることになる。未知の世界。でも「自分の可能性に挑戦したい」と決意した。
 制服を着る前の準備で、まず驚かされた。3ヵ月の研修の内容は、従来の男性の車掌とは大きく違った。「ホームの歩き方から、身だしなみやマナー、メークの仕方まで教えられました」。かつての国鉄のイメージからは考えられないことだ。スチュワーデス風の制服も、あか抜けしている。
乗客は飛行機気分で
 1日に京都と空港の間を2往復する。
 「はるか」の車内は他の列車とは違う。関西空港は世界への玄関口。旅行者の心の中では、京都で乗車した時からすでに空の旅が始まっている。「飛行機に乗っておられる気分のようですね。私たちをスチュワーデスと勘違いする方もいらっしやいますよ」。時折、特急料金をドルで払おうとする海外旅行帰りの乗客さえいる。
 切符の点検のほか、英語と日本語の案内。新しい空港についても、いろいろたずねられる。手荷物が大きいだけに「棚からの落下を防ぐ注意」も、重要な仕事だ。
 1年間、車内ではさまざまな体験があった。最も印象に残っているのは、急病患者が出たこと。「男性のお客様が吐血され、まったく初めての体験で本当に驚きました」。他の乗客を動揺させないため、空港に着くと血の付いたデッキを避けて乗客を誘導した。この乗客が後日、再び「はるか」に乗った時、徳平さんにお礼を伝言してくれた。「本当にうれしかった」
 強風で空港への連絡橋が渡れず、列車が足止めされた経験も2度ある。代行バスに乗り換えてもらったが、「お客さまにすれば飛行機に間に合うのか不安でしょうし、本当につらかった」。
 「『女性』が付くだけで、あくまで車掌ですから」。男が独占してきた社会を、さわやかにかっ歩している。
・私たちの頑張りが…
 世間では女性の就職が超氷河期。そんな中で来月から、徳平さんらに続く第2期生20人の乗務が始まる。うち半数は、難関を突破し最初から車掌に採用された。
 1期生の気持ちとしては、この後も女性車掌の仲間が増え続けてほしい。「だからこそ私たちが頑張ることが大切だと思います。これからは車掌も、女性の仕事の一つとして定着するのではないのでしょうか」。近い将来、身近な在来線でも女性車掌の笑顔が見られるようになるかもしれない。(京都新聞)
■駆け込み乗車 女性に目立つ 仮説と逆の結果に JR総研が調査
 発車間際の電車に駆け込んだり、駅の階段を駆け下りたりする危険な行動は、男性より女性に目立つ−。乗客のこんな行動パターンがJR総研の調査でこのほど分かった。
 調査したのは、安全心理の基礎研究を担当している井上貴文同総研研究員らのグループ。
 井上研究員らは、駅周辺での具体的な状況での対応について、各年齢層の男女にアンケートを実施。その結果から仮説を立て、昨年7月の15日間、朝昼夕の各時間帯にJR中央線などの5駅で延べ約1万1000人の乗客の行動を観察した。
 その結果@男女別でみると、階段を駆け下りたりする危険な行動は、仮説と異なり、男性より女性に多かったA年齢は低いほど危険な行動が目立ったB階段では転げ落ちる危険のある下り階段より、上り階段で走る人が多かった−ことが分かった。
 また、駆け込み行動は朝の方が夕方より目立ち、駅別では、列車本数の少ない駅の方が多い駅より多かった。
 結果について、井上研究員は「朝の時間帯や列車本数の少ない駅で駆け込みが多いのは、ゆっくり歩いていると目的地に着くのが遅れる恐れがあるからでしょう」と分析している。(京都新聞 夕刊)
3日■地下鉄東西線 「開業準備室」を設置 京都市交通局 19人の人事異動発令
 京都市交通局は2日、地下鉄東西線が1997年10月に完成の見通しとなったことを受けて、開業準備に関する具体的な業務を進めるため、高速鉄道本部管理部に「開業準備室」を設置した。同時に、これに伴う19人の人事異動を発令した。
 開業準備室は、運転士・車掌・駅務員の養成、運転計画や連絡運輸の策定、保線・電気設備の保守要員の養成−など、開業までに必要な業務を行う。
異動は次の通り。
 【課長級】自動車本部営業部自動車課長(自動車本部業務技術部管理課担当課長)中西忠▽同西賀茂営業所長(同西賀茂営業所担当課長補佐)大谷健一郎▽同北部自動車運輸長兼錦林営業所長(同錦林営業所長)佐々木輝寿▽同南部自動車運輸長兼九条営業所長(同西部自動車運輸長兼五条営業所長)田中忠久▽同西部自動車運輸長兼五条営業所長(同北部自動車運輸長兼西賀茂営業所長)山田富男▽高速鉄道本部管理部開業準備室長(高速鉄道本部管理部調整管理課担当課長)真下武▽同担当課長(同担当課長)八田成雄
 【課長補佐級】同担当課長補佐(同課長補佐)上野精一▽同(同担当課長補佐)赤木昌道▽同兼務 同建設部建設第一課課長補佐上村次男
 【係長級】自動車本部営業部西賀茂営業所担当係長(自動車本部営業部醍醐営業所)中野信人▽高速鉄道本部管理部開業準備室担当係長(高速鉄道本部管理部調整管理課担当係長)伊豆蔵清▽同(同営業施設部電気課)山本昇▽同管理部計画課用地係長事務取扱 同担当課長竹内武▽同建設部第二建設事務所相談係長(同用地係長)関沢和美▽同営業施設部電車課担当係長(同建設部第二建設事務所相談係長)西尾治成▽同(同営業施設部運輸事務所運転指令区長)吉村泰典▽同運輸事務所運転指令区長事務取扱 同事務所所長補佐沢田勇▽同駅務区長(同運輸事務所担当係長)花垣亨(京都新聞)
■地下鉄東西線開業へ組織改正と異動発表 京都市交通局
 1997年11月に開業する地下鉄東西線に向けて京都市交通局は2日、運転計画を決めたり運転士を育てたりする開業準備室を新設する組織改正と、同日付の人事異動を発表した。
 【課長級】開業準備室長(調整管理課担当課長)真下武▽同室担当課長(同)八田成雄▽自動車課長(管理課担当課長)中西忠▽西賀茂営業所長(西賀茂営業所担当課長補佐)大谷健一郎▽北部自動車運輸長兼錦林営業所長(錦林営業所長)佐々木輝壽▽南部自動車運輸長兼九条営業所長(西部自動車運輸長兼五条営業所長)田中忠久▽西部自動車運輸長兼五条営業所長(北部自動車運輸長兼西賀茂営業所長)山田富男(朝日新聞)
■駅清掃サービス 若手を採用し充実 阪急電鉄
 阪急電鉄は、今月から梅田、中津、十三、三国の4駅で、若手の清掃作業員を配置するなど駅清掃サービスを一新した。
 同社の清掃作業員は「クリーンクルー」と呼ばれ、4駅で約160人が働いている。今回、10−20代の5人を採用。若返りを図り、ユニホームを男女ともに明るいイメージに統一し、掃除機など清掃用具もリフレッシュした。
 また三宮駅など4駅で行ってきた駅内のごみの分別収集を、梅田駅にも拡大した。(京都新聞)
■新システムでキセル防止はかる阪急 収入確保へ最後の切り札 開発望めず値上げも困難に
 阪急電鉄は2日から「キセル」をほぼ完全に防ぐ新しい改札システム「フェアライドシステム2」を全路線で導入した。私鉄では全国で初めての画期的な新システムだが、その陰には、運賃収入増に行き詰まりつつある都市部の私鉄の悩みがのぞく。(高橋 万見千)
 阪急の旅客は、1991年度に8億1000万人台に乗せた後、3年連続して減り続け、94年度は阪神大震災の影響もあり7億6000万人弱と、86年度の水準まで落ち込んだ。特に、固定客である定期券利用客はこの3年で1割以上減少している。企業の不況下の節約や人減らしの影響が及んだ、と見られる。
 さらに、最大の収益源である神戸線(大阪・梅田−神戸・三宮)をはじめ、沿線は古くから住宅開発が進んでいた地域が多いため、人口の高齢化や少子化が進んでいるうえ、これからの大規模開発も望めない、という構造問題も抱えている。「新線敷設・沿線開発から乗客を増やす」というのが、私鉄のこれまでの経営手法だった。今後はそうした手法は通じそうにない。
 鉄道事業は、設備の維持・更新などで巨額の費用がかかる。これまでは、公共料金制度に守られて利潤を確保するための運賃値上げがまかり通ってきた。しかし、物価が安定する中で、運賃値上げも難しくなっている。
 今回のキセル防止システムは、大幅な増収が見込めない鉄道事業が、収益源を確保する「切り札」の役割を担わされている。
 年間のキセルによる損失は、発券枚数と実際の運賃収入の差などから鉄道各社とも、鉄道収入の1−1.5%と見ている。阪急の場合、推定で年間約10億円。自動改札機が普及していることもあって、今回のシステム導入にかけた設備投資は15億円で、単純計算では2年もすれば元がとれる計算だ。
 他の私鉄も、阪急のように高度な自動改札システムの構築を急いでいるが、実現には時間がかかりそうだ。
 京阪電鉄はこの11月、全駅に自動改札機の設置を完了するが、「経営環境は阪急と一緒だが、阪急の水準に追いつくには10年かかる」という。阪神電鉄は来年3月に大阪市交通局など4電鉄と一緒に阪急のシステムを利用した5社共通のカードを発行する。ライバル他社と相乗りしてシステム開発のコストを減らしていく戦術だ。
 「鉄道事業は、他社はもちろん自動車など他の交通手段を含めて、限られたパイをどれだけ自分の手元に抱えられるかを激しく競う時代に入っている」(山口益生・阪急電鉄鉄道本部長)という認識は、関西だけでなく、都市部を走る私鉄各社に共通する、暗く重い「将来像」でもある。
・定期券に乗車駅記録
 フェアライドシステム2改札機を通した定期券や切符を、降りる時にも使わないと改札機が通れない仕組み。定期券の場合は、乗車時に定期券の裏面に日付が印刷され、降車時は日付の上に重ねて二重線が印刷される。自動改札機の耐久性や磁気情報の読み取り機能を向上させ、約1秒で定期券や切符にある区間情報を読み取ることができるようにした。区間外から乗車する場合は、あらかじめ乗車前に券売機に定期券を入れ、残り区間の料金で「特殊切符」を買い、この切符で乗り降りする。
 阪急は67年に全国で初めて北千里駅に第1号の自動改札機を設置、83年までには84の全駅に導入を済ませた。さらに昨年10月、1枚の定期を1人が改札した後で別の人が使うことなどを防ぐ「フェアライドシステム1」の実施にこぎつけている。(朝日新聞)
■阪急沿線 ドラマの舞台に 復興の町アピールしたい 関西の電鉄で初 撮影規制を解除
 阪急神戸線・夙川駅。深夜のプラットホームに、最終電車を待つ恋人たちの姿があった−。こんなシーンが近く、テレビのトレンディードラマで見られるかも知れない。
 阪急電鉄(本社・大阪市)は、これまで原則として禁止していた駅や電車のテレビ撮影を、関西の電鉄会社としては初めて、ドラマやコマーシャル用に認めることを決めた。関東では古くから、京王帝都電鉄(本社・東京都)が撮影協力に乗り出しており、沿線はドラマの舞台として定着している。御影、夙川といった高級住宅地をかかえる阪急沿線も阪神大震災で大きな被害を受けた。復興に向かう町を、「ドラマチック」な町に、という願いも込められている。
 阪急はこれまで、報道以外の駅や電車でのテレビ撮影を、原則として禁止してきた。運行の安全確保や乗客の輸送に支障をきたす恐れがある、というのが主な理由。京王を除くほかの電鉄会社も同様の理由で、商業目的の撮影を原則として断っている。
 阪急が撮影の解禁を決めたのは、テレビ局やコマーシャル製作会社などから撮影の要望が多いためだ。これまで個別に対応し、例外的に撮影を認めるケースもあったが、統一基準を設けて門戸を広げることにした。大震災で被害を受けた沿線のイメージアップにつながるという考えもあった。
 京王のやり方を参考にして、今日中に、具体的な撮影の条件や撮影方法、金額などを決め、受け付けを始める。すでに、携帯用コンピューターの会社と、かぜ薬のメーカーからコマーシャル撮影の依頼が寄せられているという。
 阪急広報室は「撮影をスムーズに進行させることが主な目的。今のところ引き合いが多いので、こちらから積極的に売り込む考えはないが、沿線のイメージが高まるのであれはどんどん協力したい」と話している。(朝日新聞 夕刊)
■地下鉄サリン 遺族、賠償提訴へ 麻原被告らを相手に
 今年3月に発生し、死者11人、重軽傷者約5500人を出した地下鉄サリン事件で、遺族らが今月、オウム真理教や代表の麻原彰晃被告(40)=同事件の殺人、殺人未遂罪などで起訴=を相手取り、損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こす。
 代理人になる「地下鉄サリン事件被害対策弁護団」は、今年6月に首都圏の弁護士会などが実施した「オウム真理教110番」「地下鉄サリン被害110番」に相談を寄せた遺族や被害者と面接を進め、訴訟の準準備をしてきた。請求額は、事件の悪質さなどを考慮して、通常の交通事故などで死亡、けがをした場合の2倍から4倍程度を想定している。
 今月の提訴では、死亡者5人の遺族や、重軽症を負った約10人の被害者が原告となる予定だが、向井護団はさらに原告を増やしたいとしており、2次、3次訴訟も検討するという。
 同弁護団の宇都宮健児団長は「事件のショックで訴訟に踏み切れないでいる被害者も多いようだが、少なくとも死者全員の遺族には原告になってほしい」と話している。同弁護団の連絡先は0427-24-6759。(朝日新聞 夕刊)
■駅前で刺され JR助役死亡 水戸、容疑者を逮捕
 水戸市のJR水戸駅南口そはで2日午後10時50分ごろ、同市千波町、JR東日本友部保線区助役、吉田親雄さん(47)がナイフで刺された。水戸署は同駅北口近くでナイフを所持していた茨城県鹿嶋市下塙のかじ職人、佐藤利男容疑者(57)が「駅前で人を刺した」と供述したため、殺人未遂の疑いで緊急逮捕した。吉田さんは病院に運ばれたが、間もなく死亡した。(朝日新聞 夕刊)
4日■望見KANSAI 次世代新幹線車両 大阪−東京間 所要時間 約半分に
 21世紀の新幹線を走る主力車両が今夏以降、そろって姿を現した。先月、JR西日本の次世代量産型車種「500系」の仕様が決定したのをはじめ、滋賀県内ではJR東海の実験車両「300X」が、最高時速350`を超した。山梨県で進められているリニア実験線では、完成したばかりの超電導リニアモーターカーが搬入され、1年半後の試験走行開始に向け準備が始まった。これらの新型車両は将来、大阪−東京、大阪−博多を約2時間から1時間で結ぶ。関西のヒトやモノの流れを変え、経済ばかりでなく市民生活に与える影響も大きい。注目を集めるこれら3つの新型車両を紹介する。
・3年後にも営業運転
 【500系】JR西日本が、平成4年から走らせている試験車両「WIN350」で得た成果を随所に生かした。将来、新大阪−博多間を時速300`(2時間19分)で営業運転する。
 「のぞみ」(300系)と同じ1編成16両で、定員は1324人。先頭車の運転席を戦闘機のような顔つきにした。乗り心地を良くするサスペンション装置の導入や、運転操作の一部自動化装置が図られた。最大のポイントは騒音の改善。同社の高木亨車両部長は「翼形のパンタグラフ採用とパンタカバーの小型化で、300`走行でも発生音を、環境基準の75デシベル以下にできます」と話す。
 営業運転開始は平成9年以降になりそうだが、現在の「のぞみ」同様、新大阪−東京間乗り入れの可能性も高い。
・国内2位の速度記録
 【300X】「のぞみ」を含めた新幹線車両の改良を進める実験車として、JR東海が平成6年12月に1編成(6両)を製作した。試験走行は今年1月から始まり9月21日夜、米原−京都間で時速354.1`を達成した。
 国内の新幹線試験車両のスピードとしては、JR東日本の「STAR21」の425.0`に次ぐ2番目の記録。「設計通りの性能が確認されてよかった。今後は350`以下の条件で、騒音などのデータを集める」。JR東海の佐野孝美広報部長は、そう話す。
 先頭車両は一方が丸みをおびたラウンドウエッジ型、もう一方はカモノハシの口に似たカスプ型。「のぞみ」に比べ、幅、高さとも約30a小さい。試験走行は、週2回の割合であと1年続くが、300Xを基にした量産型車両の開発は当面、行われない。
・運転管理は地上から
 【リニアモーターカー】山梨実験線は、JR東海、JR総研、鉄建公団の3者共同事業。車両基地に搬入された最初の1編成(3両編成)は「MLX01型」と名付けられた。両端の先頭車両は「300X」とほぼ同じ形を採用した。
 超電導を利用して磁気浮上走行する車両だけに、車体はコンパクト。1両当たり重量は20−29dで「のぞみ」の3分の2。車幅も2.9bしかない。客席に座った印象は、国産旅客機のYS−11によく似て、かなり狭苦しい。
 外見上の特徴は運転席がないこと。試験最高速度で550`、営業速度でも500`という「世界」では、外の景色は見えにくい。運転管理はすべて地上の指令室で行う。先頭車につけられたモニター用のテレビカメラが「車両の目」になる。上下開閉式のドア、超電導冷却用の液体ヘリウムタンクを組み込んだ台車装置なども、この車両の特徴だ。
 実験線(全長42.8`)は、区間の80%がトンネルだが、完成はもう間近。平成9年春には、試験走行が始まる。(京都新聞)
■窓 JRの駅施設 弱者に配慮を 甲西町・鈴木 強(事務員・45)
 私は毎日通勤にJR三雲駅を利用している。この駅は近郊の通勤客、通学者が数多く利用する交通のセンターになっている。お年寄りや体の不自由な方も多く利用されている。さらにこのごろは海外旅行帰りの巨大なバッグを持つ人も多く見受けられる。
 しかし線路をまたぐ通路は高架になっており、上り下りはあまり広くもない階段。この上り下りは健常者にはそう苦痛ではないかもしれないが、体の不自由な方たちにとっては、毎日が苦行を強いられているのに等しいのではないか。この方たちが一生懸命階段を上下されるのを私たちは何もしてあげられず横を通りすぎるだけだが、そのことに胸を痛めている人もいるかと思う。
 JRに要望します。エスカレーターとは言わないが、ぜひスロープ階段を作っていただきたい。この線が赤字かどうか、また工事費がどれくらいかかるのか知りません。
 しかし、たとえ民間化されたとはいえ、公共の交通機関。利用者の立場に立ったお金の使い方をしていただきたい。必要であれば、自治体も考えるべきだ。
 すべての人の移動の自由を保障するのも国、自治体の仕事だから。バカでかい京都駅が段々その姿を現しつつあるが、もっと切望されているものがあるはずだ。そこにこそ知恵も費用も使ってほしい。(京都新聞)
■「装置置いた」中川被告供述 新宿・青酸ガス事件
 東京の地下鉄新宿駅のトイレに今年5月5日、希硫酸と青酸ソーダを使った青酸ガス発生装置が仕掛けられた事件で、オウム真理教「東信徒庁」所属の松本小百合容疑者(36)=犯人隠避容疑で指名手配=が、青酸ソーダの調達などにかかわった疑いの強いことが3日、警視庁新宿署捜査本部などの調べでわかった。「法皇内庁」トップの中川智正被告(32)が、「自分が装置を置いた」との供述も始めている。(朝日新聞 夕刊)
5日■特急停車のゴルフ場が完成 山陰線胡麻駅 朝夕に各1 本 JR出資で”恩典” 丹波町
 JR西日本と船井郡丹波町などの出資する第三セクター会社「丹波高原開発」が船井郡丹波町実勢に建設を進めていた「グランベール京都ゴルフ倶楽部」の西コース(18ホール)が完成、4日オープン式典が行われた。ゴルフ場の開設に伴い最寄りのJR山陰線胡麻駅(日吉町)には、特急が朝夕に上り下り各1本が停車することになり、同駅で停車記念行事も行われた。
 同ゴルフ場は、敷地総面積239f。西コースは7668b、パー72。来春完成予定の東コースと併せ36ホールの規模。6日から営業開始する。
 胡麻駅に停車する特急は、京都発倉吉行き下り「あさしお1号」(京都駅午前9時発、胡麻駅同9時45分着)と倉吉発京都行き上り「あさしお10号」(胡麻駅午後5時51分発、京都駅同6時29分着)。無人駅に特急が停車するのは同社管内で同駅だけ。停車に合わせゴルフ場の送迎バスが運行される。11月30日まで停車する。(京都新聞)
■雷に弱〜いハイテク制御 少電流でも作動 信号など被害14件 JR西日本「天に祈る気持ち」!?
 列車の信号機や線路のポイントを遠隔操作で切り替える装置が落雷で故障する事故が相次いでいる。JR西日本は数年前から、これらの装置にコンピューターを等入して機能アップを図っているが、このハイテク化で逆に雷の影響を受けやすくなってしまったからだ。同社は対策を検討しているが、とりあえず「雷が落ちないように」と天に祈っている。
 JR西日本の調査によると、今年度に入ってからこれまでに落雷による被害が14件起きている。このうち7件が、信号機や線路のポイントを駅から切り替える「連動装置」と、信号と信号の間に1つの列車しか入れないようコントロールする「閉そく装置」の被害だった。
 同社は7、8年前から、これらの装置をコンピューターを採り入れた新型に切り替えている。連動装置は毎年約10ヵ所ずつ新型に更新されており、809ヵ所のうち133ヵ所まで増えた。閉そく装置も在来線約4400`のうち約300`が新型に切り替わった。多機能化や自動化が実現したが、それ以前の機械式と違って、低電圧や少電流でも作動するため、その分、雷に弱くなってしまった。
 付近で落雷があると、装置が影響を受けて電圧が瞬間的に異常に上がり、トランジスタやコンデンサーが燃えるなどしてシステムがダウンする。このため、信号機やポイントの切り替えなどが正常に機能しなくなり、列車の運休や遅れにつながっている。
 落雷は、夕方のラッシュ前に発生することが多いため、利用客への影響も大きい。8月2日夕方には、JR茨木駅(大阪府茨木市)の連動装置が故障したため、構内の信号機が点灯しなくなり、約1万3000人の足が乱れた。同社はJR総研と合同で対策を検討中で、アースを使って雷の電圧を効果的に土中に逃がす装置などを考えているが、同社電気部は「雷はいつどこで発生するか分からない。被害をゼロにするのは難しい」と話している。(朝日新聞 夕刊)
6日■窓 駅員の対応で残念な気持ち 右京区・小田法子(主婦・29)
 実家の両親が孫の顔を見に京都へ来、帰路に私と7ヵ月の娘が同行して里帰りを、という楽しいひとときのはずだった。
 JR京都駅東口のみどりの窓口に行き、新幹線の切符を求めた時のことである。
 心臓を患った父が身障手帳を提示し、介護者の割引の摘要を受け、希望の時間に到着する便をたずねていた。30代くらいの係員は斜めにかまえ、肩ひじをつき、面倒そうな口調での対応。何を勘違いしたのか、父は1時間違いの便を頼んでいたので私は訂正してもらうよう言った。すると返事もせず、大きなため息をついて発券し直した。「申し訳ありません」とおじぎをしてホームヘと向かった。
 「お父さん、何号車?」と聞くと、16号車の後方席ではないか。平日の午後3時ごろ。いくら観光京都といえども空いている時間である。実際に車内は空いていた。見た目元気そうな父でもあの長いホームはつらそうだったし、赤ちゃんを抱いて最後車両まで歩くのは大変だった。身障者と赤ちゃん連れだと分かっていてのことだろうか。だったらなおさらひどい仕打ちである。嫌な思いをさせた両親に申し訳なく思い、ひどく残念な気持ちにさせられた。(京都新聞)
■「鉄道の日」SLと遊ぼう 14、15日に梅小路フェス
 蒸気機関車に親しんでもらうためJR西日本は14、15の両日、「梅小路フェスティバル」を京都市下京区歓喜寺町の梅小路蒸気機関車館で開く。
 1872年に蒸気機関車が日本で初めて運行したのを記念した「鉄道の日」の14日に合わせ、3年前から毎年開いている。
 14日午後6時からプロのアコースティックバンド・BEGINの公演があるほか、15日午後6時からは茨木市の太鼓グループ・るんびの太鼓による演奏がある。
 また両日を通じて、D51やC62どの蒸気機関車がけん引するトロッコ車に乗ったり、鉄道に関する歌やクイズコーナー、鉄道グッズの販売などがある。
 フェスティバル期間中の入場料金は、高校生以上が500円、中学生以下は250円。(京都新聞)
7日■市電100年記念し 共通金額カード 14日から市交通局
 京都市交通局は、14日カらトラフィカ京カード(市バス・地下鉄共通金額カード)の「懐かしのチンチン電車から100年」(1枚1000円、限定5000枚)を、市バスの営業所や地下鉄各駅などで発売する。
 1895年(明治28年)に日本最初の路面電車として、京都でチンチン電車が走ってから、今年でちょうど100年を迎えるのを記念。レトロ調の図柄で当時の電車と現在の地下鉄を配している。
 昨年も「チンチン電車復元走行」記念カードを発売したが、すぐに完売した。今回も、はやファンから問い合わせがあるなど前人気は上々とかで、苦しい交通局の財政に、ちょっぴり貢献?(京都新聞)
■近鉄生駒トンネル火災 出火予想できず 大阪地裁 元電設会社社長に無罪
 昭和62年、乗客1人が死亡し、乗員、乗客ら43人が重軽症を負った近鉄東大阪線の生駒トンネル火災事故で、高圧ケーブル接続工事で手抜きをし出火させたとして業務上失火と業務上過失致死傷罪に問われた大阪府摂津市烏飼下、元電気設備会社社長中谷利雄被告(54)の判決公判が6日、大阪地裁であった。寺田幸雄裁判長は「アース関連部品の銅板を付け忘れたため異常な通電回路が形成され火災が発生したが、工事当時はこの現象を予想できなかった」と無罪(求刑禁固3年)を言い渡した。
 この事故では、運転士ら近鉄関係者は、嫌疑不十分で不起訴となっており、大量の死傷者を出した事故は刑事責任を負う者がいないという事態になった。
 判決によると、中谷被告は昭和61年3月の同トンネルのケーブル接続工事の際、銅板の取り付けを忘れた。接続部分は過熱し62年9月21日に出火。走行中の列車の乗客らは運転士らの誘導で徒歩で避難したが、トンネル内に充満した煙で、奈良県生駒市の明松(かがり)敏夫さん=当時(56)=が死亡、43人が一酸化炭素中毒などの重軽症を負った。(京都新聞)
■生駒トンネル火災 大阪地裁 「出火予見できず」
 死者1人、重軽傷者43人を出した1987年9月の近鉄東大販線・生駒トンネル火災事故で、工事の際にアース用銅板の取り付けを怠ったため火災を引き起こしたとして、業務上過失致死傷と業務上失火の罪に問われた大阪府摂津市の電気設備工事会社役員、中谷利雄被告(54)に対する判決公判が6日、大阪地裁で開かれた。寺田幸雄裁判長は「銅板の不設置が出火原因となったが、不設置によって火災が起きるとは予見できず過失責任はない」と述べ、無罪(求刑禁固3年)を言い渡した。
 中谷被告はトンネル中央付近で特別高圧ケーブルの接続工事をした際、接続器にアース用銅板を取り付けなかったため機器やケーブル類が炎上し死傷者を出したとして、90年3月に起訴された。
 公判では、銅板の不設置と出火との因果関係▽不設置によって火災が発生することを予見できたか▽近鉄側の過失責任の有無−などが争点となった。
 判決で寺田裁判長は、アース用の銅板を設置しなかったため、誘起電流が接続器に流れ込み、その一部が炭化して可燃性ガスが発生、電車の通過時などに生じるアーク放電によって出火に至った、とする検察側の主張をほぼ認めた。作業方法についても、手順書をよく読まないまま作業をし、適切な検査もしていないとして、「客観的にみて注意義務に違反していた」と認定した。
 そのうえで、火災発生の予見可能性について検討。誘起電流によって接続器に炭化部分が生じるという現象について 当時、学術的にも報告例がなかった 接続器の設計、製造にあたっても考慮されていなかった−ことなどを理由に「予見は不可能だった」と述べ、「犯罪の証明がない」と結論づけた。
 公判で弁護側は、「真の事故原因は、工事管理や避難態勢などをめぐる近鉄側のミスにある」と主張したが、判決はこうした点については判断を示さなかった。
 佐々木茂夫・大阪地検次席検事の話 判決内容を十分に検討し、上級庁とも協議した上で対応を決めたい。
・近鉄生駒トンネル事故
 1987年9月21日、近鉄東大阪線新石切駅−生駒駅間の生駒トンネル(4737b)内で火災が起きて停電、通過中の大阪港発生駒行き普通電車が立ち往生した。約70人の乗客は約30分後、乗員らの誘導で歩いて避難坑へ向かったが、煙を吸って乗客1人が死亡、乗客乗員43人が一酸化炭素中毒などで約3ヵ月から1週間の重軽傷を負った。乗客の避難誘導に落ち度があったとして、電車の運転士や運行管理責任者ら近鉄社員5人も業務上過失致死傷の疑いで大阪地検に書類送検されたが、「刑事責任を問うほどの過失は認められない」として不起訴処分となった。(朝日新聞)
■ビジネス戦記 「ひかり」とともに JR東海会長 須田 寛
シンデレラ・エクスプレス 「のぞみ」の営業運転開始 リニア新幹線促進を決意
 JR東海(東海旅客鉄道)は1987年4月に発足しましたが、会社のイメージづくりに効果を上げたのがCMでした。
・生活に密着アピール
 新幹線の最終列車のホームで別れを惜しむ恋人たちを描いた「シンデレラ・エクスプレス」に始まり、「アリスのエクスプレス」「クリスマス・エクスプレス」などのシリーズが代表的なものです。東海道新幹線がビジネスマンだけの乗り物ではなく、日常の中に息づいていること、生活に密着した新幹線をアピールすることが狙いでした。「シンデレラ」の企画を示された時、「これだ」と思いました。国鉄の名古屋鉄道管理局長だった80年ごろ、単身赴任で日曜日に東京発の最終列車によく乗りました。ある時、恋人と別れたらしい女性が1つ離れた隣の席で泣き続けていたのを思い出したのです。
 この女性にとって、新幹線での別れは心の中にずっと生きているはずです。人の心を安全に、大事に送り届ける。CMのそんな切り口が人々の琴線に触れ、成功したのだと思います。
 私は、こういったものは採用するかしないか、の決断しかしません。一種の芸術作品ですから、上があれこれ注文すると、中途半端になります。孫とおじいさん、おばあさんの再会をテーマにした「ハックルベリー・エクスプレス」は89年に電通からテレビ広告電通賞をいただきました。授賞式では「私がこのキャンペーンで唯一やったことは、口を出さなかったことです」とスピーチしました。
・時速270`を達成
 92年3月に営業運転を始めた「のぞみ」は、JR東海発足の翌年から開発を手掛けました。「ひかり」の最高時速220`は64年の開業からわずか10`しか向上していません。国鉄時代からの課題でもありました。試作車両、試運転と順調に進み、270`の高速運転を達成しながら、騒音を「ひかり」以下に抑えました。
 「のぞみ」の開発は、車両を中核に線路や架線、通信、電気施設を含めた総合的なシステムチェンジをした点に意義があります。名古屋−三河安城間で約4時間立ち往生するなど初期故障でお騒がせしましたが、トラブルを克服し、「快適に速く」という乗客のニーズにこたえることができました。
 名前を決める際に「希望」と「太陽」が候補に上がり、実は「希望」で決まりかけたんです。ところが選考委員会で社外の女性から「ひらがなの方がよいのでは」という意見があり、それなら「のぞみ」にしましょうとなったわけです。
 お客さんのニーズは絶えず変化します。技術も日進月歩で変わります。だから、一つのシステムが完成したその瞬間から次のシステムをめざすのは当然です。試運転が始まった次世代車両300Xでは営業速度を上げることよりも、高性能の車両が生み出すゆとりの輸送システムを探っていきたいと思います。
 もう一つの課題が中央新幹線計画とリニアモーターカー(超伝導磁気浮上式鉄道)です。「そんなに急いでどこへ行く」と言われますが、「初めにリニアありき」ではありません。東海道新幹線の輸送力はいずれ行き詰まります。そのためのバイパスであり、最近は災害対策上、必要という議論もあります。同じ造るなら、未来の技術を応用できないかということです。
 90年6月、山梨実験線の建設費として、3分の2にあたる約2000億円をうちが負担することを決めました。JR東海が中央新幹線の経営主体になれるかどうか、事業全体のフレームはどうなるか、という点が問題でしたが、運輸省からJR東海が東海道新幹線の経営と一体的に行うとの見解を得られたため、踏みきったのです。
 1年ほど前から議論を重ねていましたが、会社経営に通じた三宅重光会長(当時)から「将来のために、ぜひやるべきだ」との意見をいただいたのが大きな励みになりました。
・究極の輸送システム
 リニアが実現すれば、在来線と併せて3つの路線を使い、世界でも例のない都市集積地帯、東海道に究極の鉄道輸送システムが誕生するはずです。JR東海の将来も確保され、わが国の鉄道事業の将来に対する回答もそこにあります。それに少しでも近づくことが私に残された使命だと考えています。(朝日新聞 夕刊)
8日■六甲ロープウェーが再開
 阪神大震災の影響で運休していた神戸市の外郭団体・都市整備公社の六甲有馬ロープウェー表六甲線(全長2.27`)が7日午前9時、震災から263日ぶりに運行を再開した。
 同線は震災で、六甲山上にある天狗岩駅の地盤がずれたり、ゴンドラを支える支柱がゆがむなどの被害を受けた。山項付近で連絡する有馬線(全長2.76`)は、既に4月10日に営業再開している。(京都新聞)
■園児の絵乗せチンチン電車 京福嵐山本線走る
 幼稚園児らが描いたチンチン電車の給を車内に展示した「ギャラリー電車」2両が7日、京福電車嵐山本線に登場した。1872年に日本で初めての鉄道が新橋−横浜間に開通した日を記念する「鉄道の日」(10月14日)に合わせたイベントで、15日まで。
 絵は、同電車の沿線にある太秦幼稚園と自然幼稚園の園児たちが、9月に開かれた「レトロ電車」の写生会で描いた。画用紙いっぱいに力強くクレヨンを走らせた64枚の絵は、モデルになったレトロ電車2両の車内をにぎやかに飾った。(朝日新聞)
10日■脱線、100人以上が死傷 米で特急妨害工作情報も
 【ロサンゼルス9日共同】米アリゾナ州からの報道によると、9日未明(日本時間同日夕)、同州南部を走る全国鉄道旅客公社(アムトラック)のツーソンとフェニックス間で、マイアミ発ロサンゼルス行き特急「サンセット」が脱線した。
 アムトラックの発表では、機関車と客車12両のすべてが脱線、寝台車を含む3両が線路わきの約10b下の谷に転落したという。事故は橋の部分で起きたとも伝えられている。
 地元の警察や消防のこれまでの確認では、乗客248人のうち少なくとも1人が死亡、100人以上が負傷し重傷者もかなりいるもよう。ヘリコプターなどが出て救出作業を続けているが、現場の足場が悪く難航、死傷者はさらに増える恐れがある。
 線路に何らかの防害工作をした形跡があるとの未確認情報があり、警察は列車の脱線を狙った疑いもあるとみて捜査している。(京都新聞)
11日■「巨大な迷路」返上へ 統一案内板が登場 ダイヤモンド地下街
 交通機関や周辺の建物の案内板が地下街ごとにバラバラで分かりにくいと指摘されていた大阪・キタで、表示方法が共通化される。その第1号が12日に開業するダイヤモンド地下街に設置された。今後、他の地下街やビルも順次導入し、1998年春には地区全体に行き渡る予定。通路が複雑に交措し、「巨大な迷路」と評判の悪かった大阪の地下街が少しは歩きやすくなりそうだ。
 共通にするのは、案内地図と、交通機関や建物の場所を知らせる案内板に載せる施設の名前や、記載する順番、絵による表示マークなど。案内板の色や形は、各地下街やビル全体と調和させるため統一しない。
 記載する施設は「交通機関」、「主要施設」、「地下街など」、「その他」の順に並べる。それぞれの中では、案内表示の位置から遠い方から順に前に置く。また、案内地図は、駅の近くなどの場合、梅田全体を描いた地域案内図は同じものを使い、それぞれの地上と地下の地図を合わせた”三点セット”で壁面などに設置する。ダイヤモンド地下街には、案内表示、案内地図がそれぞれ5ヵ所ずつ設けられた。
 今後は改装などを利用して、周囲の地下街も新しい案内表示や地図に切り替える方針で、梅田地区で計約120ヵ所に整備されるという。ターミナルの一部では、それぞれ英語、中国語、ハングルでの案内も併記することも決めた。
 梅田地区には、ダイヤモンド地下街や「ホワイティうめだ」など5つの地下街がある。阪急梅田駅地下の「阪急三番街」や、大阪駅前第1−第4ビルなどの地下商店街度合わせると総面積は約33平方bになり、1日約200万人が行き来する、と言われる。(朝日新聞 夕刊)
12日■大阪−今治バス申請
 阪神電鉄(本社・大阪市)と瀬戸内運輸(本社・愛媛県今治市)は11日、大阪と今治を結ぶ帰省客用の高速バスを運行するため、運輸省に事業許可の申請をした。運行期間は、12月20日から来年1月15日までと、来年3月20日から4月7日まで、同27日から5月6日までの3期間。
 停留場所は大阪・梅田のホテル阪神前と愛媛県の三島・川之江IC、新居浜駅前、新居浜・住友病院前、西条駅前、壬生川駅前、今治桟橋、今治駅前の8ヵ所。1日2往復で、大阪−今治駅前間は片道約5時間50分、運賃は大人5000円。(朝日新聞)
■米で列車転覆テロ?79人死傷
 【ロサンゼルス10日=水本和実】米アリゾナ州フェニックスの南西約88`の砂漠地帯で9日午前1時20分(日本時間同日午後5時20分)ごろ、アムトラック(全米旅客鉄道公社)のマイアミ発ロサンゼルス行きの旅客列車(12両編成)が脱線。うち客車4両が転覆して、乗務員1人が死亡。乗客・乗務員あわせて78人が重軽傷を負った。
 連邦捜査局(FBI)や運輸安全委員会(NTSB)などによると、現場のレールの一部がまくら木からはずされ、警報装置が作動しないよう工作されていた。さらに「ゲシュタポ(旧ナチス秘密警察)の息子たち」を名乗る犯行声明文が見つかった。(朝日新聞)
13日■大阪市域の高架化完成 南海、来月から運行
 大阪市と南海電鉄が、12年前から南海本線の萩ノ茶屋−玉出間(2.3`b、大阪市西成区)で進めていた連続立体交差事業が完成。これにより、同線は難波−大和川の大阪市域7.8`b間がすべて高架化され、地上を走っていた高野線下り線の電車も、来月1日から高架上で運行を始める。
 萩ノ茶屋−玉出間は、南海本線と高野線が平行して地上を走っていた時代、多くの踏切があり、一部は、1時間のうち54分間も遮断されるなど、交通混雑の原因になっていた。
 市と南海電鉄では、1983年から、総事業費約548億円で高架化工事に着手。昨年までに本線上下線と高野線の上り線が高架化され、高野線下り線だけが地上を走っていた。(京都新聞)
■洛中洛外
 ◇懐かしい大正時代の市電の写真を掲載した大正天皇御大典記念のはがき3枚が、このほど京都市中京区の民家から見つかり「チンチン電車が都大路を走って100年の記念の年に珍しい」と話題になっている。
 ◇同市左京区下鴨下川原町のまき絵師堀井常司さん(68)が中京区の実家を整理中、亡父の遺品の中から見つけた。装飾品や造花、電球で飾った花電車と、飾りつけた通りを走る市電の雄姿がくっきり。
 ◇鉄道友の会京都支部は「今ははがきは随分と少なくなりました。大切に残してもらっていてうれしいですね」。堀井さんは「父のことを懐かしいく思い出した。大切に残します」と話している。(京都新聞 夕刊)
■全構内で終日禁煙に
 大阪市は13日、市営地下鉄とニュートラムの全107駅の構内を11月1日から終日禁煙とすることを決めた。1989年1月から改札内はすべて禁煙ゾーンとし、梅田駅など一部の駅ではすでに構内全域を禁煙にしているが、11月にアジア太平洋経済協力会議(APEC)が開かれることもあり、駅の美化を進めるため範囲を拡大した。改札口近くに置いていた吸い殻入れは出入り口付近に移す。(朝日新聞 夕刊)
14日■来月から終日禁煙 大阪地下鉄とニュートラム すべての駅構内
 大阪市交通局は13日、来月1日からすべての地下鉄、ニュートラムの駅構内を終日禁煙とすると発表した。
 大阪市は喫煙マナーの向上やたばこの吸い殻ポイ捨て防止などの取り組みを進めているが、11月にはアジア太平洋経済協力会議(APEC)大阪会議が開かれることから、今回の全面的な終日禁煙を決めた。
 地下鉄の駅構内での禁煙は、昭和52年12月に御堂筋線の5駅で朝夕のラッシュ時に改札内禁煙タイムを設定して以来、順次、その範囲などを拡大してきた。(京都新聞)
■JR西日本株 上場延期を運輸相示唆
 平沼赳夫運輸相は13日の記者会見で、JR西日本株式の今年度中の上場について「阪神大震災の被害で上場基準にも問題があり、(今年度中の上場は)厳しいという認識をもっている。しばらく様子をみて、今月中に判断する予定だ」と述べ、来年度への延期を示唆した。同社は昨年度に株式を上場する予定で申請もすませたが、市場環境が整わないとして見送られた。
 JR西日本(発行済み株式数200万株)は、昨年度は日本たばこ産業株が大量に売れ残ったことから上場を延期、今年度中に上場する予定だった。ところが阪神大震災の影響で、昨年度の決算は利益額が上場基準となる400億円のほぼ半分しかなかった。
 JR西日本は、上場にあたって利益基準に特例措置を設けるよう要望したが、大蔵省に受け入れられなかった。
 JR株の売却代金は27兆円に上る旧国鉄長期債務の返済にあてているが、債務の残高は当初より1兆4000億円も増えた。返済資金を確保するため、運輸省などはJR西日本株式の来年度早期の上場をめざして売却方法を詰めるとともに、JR東日本の株式の一部を追加売却することも検討している。(朝日新聞)
■神戸で震度4 深夜のグラリにドキリ 仮設で「あの時」頭よぎる
 神戸市内で震度4の大きな揺れを感じたのは、震災直後の1月25日以来8ヵ月半ぶりのことで、大地震の記憶がまだ生々しい被災地でほ、寝床から跳び起きて寝付けないまま不安な一夜を過ごした住民もいた。
 21世帯、54人が今も避難している神戸市灘区の市立六甲小学校。川上文夫さん(51)は「揺れが大きくて、みんなびっくりして目を覚ましたようだ。学校だから建物はしっかりしており、怖さは感じなかったが、揺れた時間が長かったため、1月17日の悪夢が一瞬、頭をよぎった」。
 同市北区の藤原台第五仮設住宅(144戸)に住む主婦安部ふさ子さん(45)は、部屋が狭いため、とっさに頭上に重ねてある衣装箱や段ボール箱を手で支えた。「家族5人会員がばっと目を覚まし、布団の上に座った。最近余震がなかったから、そろそろ来るかなとは思っていた。下から突き上げるような揺れでなかったから、前ほど怖くはなかったが、やはりあの時のことがよみがえりますね」
 午前7時すぎに運転を再開したJR三ノ宮駅では、電車の遅れを知らせるアナウンスが流れ、改札口で遅延証明書を受け取る人の姿も見られた。(朝日新聞 夕刊)
15日■SLの前でにっこり 「'95梅小路フェスタ」
 「'95梅小路フェスティバル」が下京区観喜寺町の梅小路機関車館で始まった。親子連れや鉄道ファンらが訪れ、SLの試乗や写真撮影を楽しんだ。時々響く汽笛の音に、子どもたちは両手で耳をふさいで驚いていた。15日まで。
 1872年、日本で初めて鉄道が新橋−横浜間に開通した日を記念する「鉄道の日」(10月14日)に合わせた催しで、毎年開かれている。特設ステージが用意され、クイズ大会、バンドのコンサート、機関車のライトアップなどのイベントがあった。
 電車のつり革や「行き先標示板」といった部品を売るコーナーに人気が集まっていた。(朝日新聞)
16日■地下鉄サリン 発散は6電車で計画 実行犯供述 「捜査招く」不安視も
 今年3月20日に起きた東京・地下鉄サリン事件で、電車内にサリンを発散したとして、殺人などの罪に問われているオウム真理教の幹部被告らの主な供述内容が15日、明らかになった。被告らは取り調べに対し、当初は、丸ノ内、千代田、日比谷の営団地下鉄3路線の6電車で発散する計画だったのを、ひとつ減らして3路線5電車に変更したことなどを述べている。東京地検はこうした供述内容を、地下鉄サリン事件の各被告の冒頭陳述に盛り込む準備を進めており、それぞれの初公判で朗読される見通しだ。
 今回、複数の幹部信徒の供述で新たに明らかになったところによると、事件の立案をしたとされる「科学技術省」トップの故村井秀夫幹部や「諜報(ちょうはう)省」トップ井上嘉浩被告(25)の計画では、日比谷、千代田、丸ノ内の営団地下鉄3路線の霞ケ開駅を通る「上り」「下り」両方の計6電車内にサリンをまくことになっていた。サリンを12の袋に小分けし、発散役と現場までの運転役の計6組に2袋ずつ手渡すはずだった。
 しかし、犯行当日の未明に、「法皇内庁」トップ中川智正被苫(32)が出来上がったばかりのサリン6リットルを袋詰めにした際、手元にナイロン・ポリエチレン袋が11枚しかなかった。このため、千代田線については「下り」電車でのサリン発散を断念した。
 残る5電車での発散について、発散役と運転役を選んだのは、井上被告。東京都渋谷区内の教団隠れ家に実行グループを集め、5組10人の組み合わせを発表した。一組だけが3袋を持つことになった。
 犯行当日の早朝、林郁夫被告(48)と組んだ「自治省」トップ新実智光被告(31)は、サリンを包むために「聖教新聞」と「赤旗」の2紙を購入。新実被告は「聖教新聞だけで包むと、創価学会のせいにしようと装ったのがみえみえで、わざとらしい」と言い、まず赤旗で包みその上に聖教新聞を巻いた。
 林郁夫被告は、ホームの端の先頭車両で電車を待った。まわりを見渡すと小学生くらいの女の子が列に並んでいる。「ここに並んでちゃいけない。ここで電車に乗ると、大変な目に遭う。遠くへ行け」と念じた。
 同じころ日比谷線上野駅に向かうサリン3袋を積んだ車の中で、林泰男容凝者(37)=特別手配中=の言葉に運転役の杉本繁郎被告(36)は疑問を口にした。「警察の捜査をかく乱するためだ」「こんなことをやったら、かえって警察の捜査を招いてしまうじゃないですか」「しかたないんだ」
 午前8時2分、電車の先頭車両が新御茶ノ水駅ホームに差しかかった時、林郁夫被告はサリンの包みを、床を滑らせて足元に寄せた。傘の先で数回突くと、ブスッと袋が破れた手ごたえがあったという。(朝日新聞)
17日■大阪駅起点の運賃表を発刊 JR全駅、ひと目で
 JTBグループのJTBメディアプランニング(本社・大阪市西区)は、JR大阪駅を起点に、国内JR全駅への運賃がひと目で分かる「運賃表」を発刊した。
 A4判、160nで、JRのほか関西の主要私鉄、公営鉄道合わせ19社の最新運賃(10月現在)と、国内航空運賃も掲載している。JRの運賃は、どの駅についても、大阪からの主要経路二コースの額を掲載、出張費や通勤定期運賃の算出が素早くできる。
 「運賃表」は、5年前にも発刊されたが、関西の大手私鉄の運賃値上げが9月から一斉に実施されたのを受け今回、全面改訂された。
 一冊4000円で、発刊数は計1000部。書店の店頭では販売されないが、注文販売には応じる。問い合わせは同社 06(449)5633へ。(京都新聞)
■窓 バス運転手の心ない一言 伏見区・内海敬子(無職・68)
 私は、福岡から京都に引っ越しをしてきて、ある日バスに乗りました。まだバス停が次はどこか分からない時です。間違えてバスの降下ボタンを押しました。慌てて「すみません、間違えました」と言ったら「はよ言え」と運転手から返事がきた。降りるとき200円の乗車賃を整理券につつむようにして運賃箱に入れたとたん「なんぼ入れたんや分からへんやないか」とバスを3分ぐらい止めてくどくどすごい形相で怒るのです。「すみません、200円いれました」と言ったものの、皆の顔がいっせいに私に集中。
 私の知人は70歳なのでバス代は無料なのですが、1区間乗って降りたところ、運転手に「1区間ぐらい歩け」と言われたそうです。このことを聞いた私はささいなことかも分かりませんが、高齢者を大切にと言ってる昨今、行政の目の届かないことに腹立たしさを感じました。(京都新聞)
■地下鉄サリン まく計画知らなかった 中川被告 指示に逆らえず製造
 地下鉄サリン事件の殺人罪などで起訴されているオウム真理教の事実上の「法皇内庁長官」中川智正被告(32)は24日に東京地裁で開かれる初公判で、地下鉄サリン事件について「故村井秀夫元幹部から指示されサリンをつくったが、地下鉄でまく計画は知らなかった」などと主張する方針であることが16日、明らかになった。
 また、元教団付属医院薬剤師の落田耕太郎さん=当時(29)=リンチ事件については「早く楽にしてあげたいと思って体を押さえつける役をした」と主張する方針。
 中川被告は、松本サリン事件など5件で起訴されているが、初公判では地下鉄サリン事件と落田さんリンチ事件の2件の審理に入る予定。
 関係者によると、地下鉄サリン事件では、中川被告は事件の2日前の3月18日、教団「科学技術省大臣」だった村井元幹部に呼ばれ、サリンをつくるよう命令され、サリンを合成、袋詰めにしたところまでは事実関係を認める。その上で「上からの命令に逆らえずサリンをつくったが、地下鉄にまく計画は知らなかったし、謀議にも加わっていない」と主張する方針だ。(京都新聞)
■JR北海道・四国・九州 近く値上げ申請 民営化後初
 JR北海道、JR四国、JR九州が近く値上げを申請する。1987年の旧国鉄の分割民営化以来、JRとしては、消費税の導入時を除いて初めての値上げとなる。平沼赳夫運輸相が17日の会見で「経営を精査してきたが、(値上げの)タイミングを決意せざるをえない」と述べた。3社は10月中に7−9%の値上げを申請する。運輸省は、5−7%程度の値上げを認め、早ければ2月から実施される見通しだ。
 JR「3島」会社は発足当初から赤字が予想され、合計1兆3000億円に上る経営安定基金の運用益で赤字を補ってきた。ところが、低金利が続いたため予定していた運用益が稼げず、各社とも今年度決算では経常赤字が免れない状況となり、値上げに踏み切る。(朝日新聞 夕刊)
■サリンなど大半の事件 麻原被告指示認める 当局が録音
 地下鉄サリン、坂本弁護士一家事件などオウム真理教が起こしたとされる一連の事件で殺人などの罪に問われている教団代表の麻原彰晃被告(40)が、捜査当局に対し、こうした事件の大半を指示したことを認める供述をし、それを当局が録音テープに収録していることが16日、明らかになった。麻原被告側は26日から東京地裁で始まる公判で全面否認の方針。検察側は公判の推移次第では、このテープを証拠として提出することも検討している。
 テープは、今月上旬に、東京・桜田門の警視庁本部の取調室内で録音された。取調官がテープに供述を収録することを告げ、麻原被告も同意したという。このテープは現在、東京地検に保管されている。
 この時、麻原被告は、取り調べに対し、地下鉄サリン、元信徒落田耕太郎さんリンチ殺人、公証役場事務長拉致など教団が起こしたとされる一連の凶悪事件のほとんどについて、順次、自らが教団「建設省」トップ早川紀代秀被告(46)ら各事件の指揮役や実行グループに下した指示内容、その途中経過などを供述したという。ただ、幹部信徒らのこれまでの供述と食い違う点も少なくないという。このテープが録音されたころ、麻原被告は、当時起訴に向けた捜査が大詰めだった坂本弁護士一家殺害事件について、幹部らに対して坂本弁護士襲撃を指示したことや、途中で「一家3人をポアしろ」と計画を変更するよう電話で命じたことなどを供述し、調書に署名・押印したことがすでに明らかになっている。(朝日新聞 夕刊)
■駅内に火炎瓶 壁など焦がす 地下鉄谷町四丁目
 17日午前5時10分ごろ、大阪市中央区の市営地下鉄谷町四丁目駅7号出入り口付近で、燃えた火炎瓶があるのを、同駅職員(59)が見つけ、東署に通報した。壁と床の一部が焦げただけで他に被害はなかった。
 調べでは、火炎瓶は一升瓶くらいの大きさで、同駅南東側の階段を下りた踊り場にあった。中には芯(しん)になった紙の燃えかすが残っていた。しまっていた格子状のシャッターのすき間から投げ込んだらしい。(朝日新聞 夕刊)
18日■窓 お答えします 「駅員の対応で残念な気持ち」について JR西日本京都支社総務企画課長・坂本英浩
 6日に掲載されておりました「駅員の対応で残念な気持ち」の投書につきまして、回答させていただきます。
 平素はJR西日本をご利用いただきまして誠にありがとうございます。
 この度、小田様には大変ご迷惑をおかけ致しましたことをおわび申し上げます。
 早速、ご指摘の内容を真撃(し)に受け止め、京都駅の東口に勤務しております社員をはじめ、駅の営業関係社員全員に、お客様の応対については正対してお客様の立場に立って応対するよう注意・指導の徹底を行いました。また、指定券を発売するにあたっては、お客様の立場を考え、ご乗車しやすい車両のお席から発売するよう併せて指導いたしました。今後とも、さらに関係駅への指導を図り「お客様本位のサービス」を目指してまいりますので、よろしくご理解賜りますようお願い申し上げます。(京都新聞)
■電車内でまた爆発 パリ 乗客28人が重軽傷
 【パリ17日共同】爆弾テロが相次いでいるパリで17日朝、中心部の地下を走る電車内に爆弾が仕掛けられ、爆発した。ジュペ首相らとともに現場に急行したドプレ内相によると、少なくとも28人が重軽傷を負った。
 事件があったのは、17日午前7時(日本時間同日午後3時)すぎの通勤ラッシュ時。サンミシェル駅とオルセー美術館駅の間で、オルセー美術館駅を出た直後に、8両編成の電車の先頭から2両目で爆発があったという。
 警察当局が爆弾事件として爆発物の特定などを急いでいるが、フランス・アンフォ放送は、7月25日にサンミシェル駅で約90人の死傷者を出した爆弾テロ事件と同じ料理用ガスボンベが使われたと伝えた。
 消息筋によると、警察当局は爆発の前後にオルセー美術館駅を急いで立ち去ろうとした不審な男性を拘束した。爆発でトンネル内は煙に包まれ、車内はパニック状態となったという。国鉄はオルセー美術館駅などに臨時の救援所を設けて負傷者らの手当てに当たった。爆弾事件があったのは、パリ郊外と中心部を結ぶ路線で、パリの中心部は地下を走っている。
 パリでは7月末の事件以来、数件の爆弾事件が相次いでいる。一連の事件はアルジェリアのイスラム過激派が犯行声明を出した。(京都新聞)
■早朝、新幹線遅れる 広島でポイント損傷
 18日午前4時25分ごろ、広島県東広島市西条町の山陽新幹線東広島駅構内で作業員が作業中に誤ってポイントを損傷、切り替えができなくなった。
 このため広島発東京行きののぞみ2号が6分遅れたのを最高に、山陽新幹線は上り列車8本が6分から1分遅れた。
 JR西日本三原管理センターの係員が点検して約3時間半後に復旧し、正常運転に戻った。JR西日本で詳しい原因を調べている。(京都新聞 夕刊)
19日■JR西日本が冬の臨時ダイヤを発表
 JR西日本は18日、12月1日から来年2月29日までの冬の臨時列車運転計画を発表した。
 家族連れに好評の「ファミリーひかり」を、冬休み期間と1、2月の連休に2往復走らせるなど新幹線、在来線の特急・急行合わせて2195本の列車を増発する。主な臨時列車では、日本海の冬の味めぐりに、智頭線経由で阪神聞から鳥取方面を結ぶ「スーパーはくと」の全列車を京都まで延長運転する。(京都新聞)
■姫路駅からも関空直行快速 JR冬の臨時ダイヤ
 JR旅客6社は18日、冬季(12月1日−来年2月29日)の臨時ダイヤを発表した。新幹線4842本、在来線7682本で、昨年より460本多い。期間中、4050万人の利用を見込んでいる。
 JR西日本では、夏の臨時列車で登場した子供サロン付きの「ファミリーひかり」を新大阪−博多間で1日2往復運転する。また、姫路から新大阪経由で関西空港に直行する快速「ウエスト関空号」が登場。12月23日から31日の間に1日1往復する。(朝日新聞)
■橋梁の枕木11本焼く 下京のJR奈良線
 19日午前零時40分ごろ、京都市下京区尾形町のJR奈良線高瀬川橋梁(りょう)に置かれていた枕(まくら)木(長さ3b、幅20a、高さ10a)が燃えているのを、通行人が見つけた。市消防局が消火にあたったが、約20本のうち11本を焼いた。最終電車は約45分前に通過しており、レールと線路の枕木には影響はなかった。(京都新聞 夕刊)
■近鉄京都線で痴漢 容疑の京都市職員逮捕
 京都府警鉄道警察隊は19日、強制わいせつの疑いで宇治市の京都市職員(41)を逮捕した。
 調べでは、同職員は同日午前7時53分ごろ近鉄京都線の京都行き急行電車の中で、乗客の宇治市に住む看護学校生(19)の体にさわるなどした疑い。
 府警によると、被害者が乗客の協力を得て同職員を取り押さえ、近鉄京都駅助役室に被害を届けた、という。(京都新聞 夕刊)
20日■私の提言 よみがえれ神戸 レールをつなぐ@ ダイヤ改正 激烈な戦い 森長勝朗
 あの瞬間から、私たちの昼夜を問わぬ82日間の苦節が始まったのです。「阪神・淡路大震災」は、わがJR西日本の大動脈である山陽新幹線とJR神戸線を中心にみぞうの被害をもたらしました。平成7年1月17日午前5時46分、この時から私たち輸送指令員は被害区間の復旧に合わせた「運転再開と輸送力の確保」という至上命題に、大小含め実に18回に及ぶダイヤ改正を行うなどあくなきダイヤとの戦いを始めたのです。
 まず山陽新幹線ですが、高架橋が落下するなどの被害状況から見ても新大阪−姫路間の復旧までには数ヵ月は必要であろうと判断せざるを得ませんでした。そこで、震災翌日からは運転可能な姫路−博多間で運転再開することとし、1月21日には乗客の利用動向を踏まえた1時間当たり「こだま」「ひかり」各2本ずつという暫定ダイヤで運転するというミニダイヤ改正を実施しました。
 次に、アーバンネットワークですが、JR神戸線はその線路や駅舎に大打撃を受けており、当初は運転再開のメドを付けることすら困難でした。けれども、この惨状を目の当たりにした社員はだれしもが1日も早い復旧、ひと駅でも先への運転再開を心の底から求めたのです。そして輸送を預かる私たちは、持てる体力のすべてを輸送力確保に集中させたのでした。
 線路などの復旧状況により運転区間や徐行区間が毎日のように変わり、そのたびにダイヤの変更が必要となるわけですが、いつもの計画ベースで作業を行っていたのではとても時間が足りません。そこで、いくつかの想定できるダイヤをあらかじめ作成しておくという作業が繰り返されました。通常なら、ダイヤの美意識にこだわったり、駅や車両基地での煩(はん)雑な作業を嫌がったりするわけですが、この時ばかりは「震災にあわれた方、これらをサポートする方々が求めているのはどのようなダイヤなのか」だけを考え作業を進めたのです。そのため、時には当日のダイヤ完成がその日の初電車直前になることもありました。
 また、震災区間の不通に伴い、加古川線・播但線での「う回輸送」や三田経由で大阪に出られるJR宝塚線利用の乗客が震災前の3倍強にもなりました。このため大阪−新三田間で1日当たり最大42本の臨時列車の運転なども行いました。
 このようなダイヤとの激闘は、4月1日の在来線、4月8日の新幹線の運転再開をもってひとまず終えたのですが、その後4月20日には震災をしめくくるダイヤ改正をも行ったのでした。この後も寄せられる利用客のご要望に呼応した施策を講じてまいる所存です。
 この地震では数多くの教訓を得ることができました。各人各様の教訓がありましたが、とりわけ「利用客が求めるダイヤを、利用客の身になった運行管理を」が永遠のテーマであることを内心に銘記できたことが、最大のものであったかと思っています。
 もりなが・かつあき氏 1945年生まれ。1963年、国鉄入社。現在、西日本旅客鉄道(JR西日本)鉄道本部運輸部運行管理室長。(京都新聞)
■鉄道部品の即売会 きょうから大津駅で
 JR琵琶湖線の大津駅が駅舎建築20周年を記念して20、21の両日、同駅で「鉄道部品の即売会」を催す。
 鉄道フェアの催しの一つで、82年、84年に使われた乗務員用の懐中時計、「米原−豊橋」など行き先表示板、灰皿など鉄道部品計85点が出品される。懐中時計(価格3000円)は計30個即売されるが、人気が集まる可能性もあり、2日間に分けて、整理券を発行し抽選販売する。両日とも午前10時−午後4時。(京都新聞)
■声 近ごろ電車で 母子を見ない 河内長野市原 原 貞三(無職 69歳)
 近ごろ、電車に乗っていて気づいたことである。「子ども連れがめったにいない」
 ラッシュの時間帯以外の車内では、むずかって泣き叫ぶ幼児を親がしきりになだめている光景や、窓の方を向いて座って熱心に外の景色を眺めている子どもの姿をよく見かけた。たぶん今では、お出掛けは母親の運転するマイカーでさっと運ばれているのだろう。
 「若い人たちが、先を争うように座席を占領する」
 ひと昔前は、車内に空席があっても若者は立っていたように思う。さわやかでたくましい姿だった。今の若い人にはそういう見せ掛けは無意味であるのか、それとも足腰が弱くなってしまったのか。
 「年寄りに席を譲る人がいない」
 以前は席を譲ってそこに立っているのも恩着せがましいので別の場所へ行ってしまう人をよく見かけた。そんなゆかしい行為を最近見たことがない。年寄りがいつまでもつり革にすがり付いたままで立っている。
 三つとも寂しい光景である。(朝日新聞)
■電車内で女性にわいせつ行為 容疑の京都市職員逮捕
 七条署は19日、京都市水道局職員で宇治市内の男性(41)を、強制わいせつの難いで府警鉄道警察隊が現行犯逮捕した、と発表した。調べでは、この職員は19日午前7時53分ごろ、近鉄京都線の急行電車内で、宇治市内の女性(19)の体に触るなどのわいせつ行為をした疑い。女性とほかの乗客らに取り押さえられ、近鉄京都駅で府警鉄道警察隊に引き渡された。調べに対し、容凝を認めているという。
 同市水道局職員課の西村誠一郎課長は「もし事実ならは厳正な処分をしなければならないと考えている」としている。(朝日新聞)
■まくら木燃える JR奈良線の橋げた
 19日午前零時40分ごろ、下京区屋形町のJR奈良線の高瀬川橋梁で、橋げたの上に置いてあったまくら木(長さ3b)11本が燃えた。九条署の調べでは、付近に火の気はなく不審火とみている。(朝日新聞)
21日■JR山科駅前再開発事業 ”核”B棟 26日起工 出店予定の大丸 京都市と交渉へ
 京都市が地下銑東西線建設に関連して進めているJR山科駅前再開発事業で、商業・文化施設として駅前地区の核となる再開発ビルB棟(仮称)=山科区竹鼻竹ノ街道町=の起工式が、26日に行われる。同ビルの中核店舗に位置づけられながら阪神大震災の影響で出店契約交渉が棚上げになっていた大丸(本社・大阪市)も、京都市との協議を近く再開するとしており、集客のカギを握る再開発のメーン事業に弾みがつきそうだ。
 再開発事業では、役割の異なるA、B、C、Dの4つの再開発ビルを建設。最大規模のB棟は、カジュアルショッピングゾーンとなる。地上9階、地下3階、延べ床面積約5万700平方b。うち約2万平方bの商業施設は地上4階から地下1階までで、半分を大丸が、残りを地元の専門店や一般公募する店舗が使う。
 5階以上は分譲住宅で、5、6階の一部にプールやフィットネスクラブなどスポーツ施設を設ける。地下2、3階は約260台収容の駐車場になる。総事業費は192億円。1998年6月に完成予定。
 大丸については、1月の阪神大震災で神戸店が被災し、約100億円の損害を出したため、京都市に「山科への出店協議を中断したい」と申し出ていた。しかし、中核施設の役割を期待する市側は回答を保留。9月定例市議会には、大丸との出店契約を待たずに工事契約議案を提案、可決した。
 大丸は17日の中間決算発表で、売り上げの減少幅が予想より少なかったことなどから「いつまでも議論が並行線のままではいけない」(下村正大郎社長)と、近く京都市との話し合いを再開することにした。
 京都市は「大丸出店は、市も地元も待ち望んでいること。起工式を前に明るい兆しが見えてきた」(都市住環境局)と期待する。地元の山科駅前まちづくりの会の奥村俊一会長も「消費者と一体となった新しいコンセプトの商店街をつくるための起爆剤になる」と歓迎している。再開発事業は、駅前の2.8fの区域内に4棟のビルと公園、地下駐輪揚などを整備し、京都の「東の玄関口」として、ターミナル機能などを充実させる計画で、第1弾の娯楽施設D棟が今年3月に完成した。(京都新聞)
■私の提言 よみがえれ神戸 レールをつなぐA 新幹線復旧の日、涙も 高永 彰
 先の震災では、わが国の鉄道史上最大といわれる被害を受けましたが、幸い早期復旧を果たすことができました。まさしく戦争状態であった日々を振り返ってみたいと思います。
 震災直後に行ったのは、多少のロスは覚悟の上で、早めの資機材確保と復旧体制作りでした。あり得ないことですが「JRが市場の鉄板を全部押さえてしまった」という話が巷(ちまた)に伝聞されることもありました。被害の大きい新幹線、JR神戸線六甲道駅のそれぞれに復旧部を、その下に各班隊を編成し、ともに1日約2000人の作業員を投入し24時間態勢で進めました。入社後まもない若手社員も昼夜を通して現場に張り付き、建設会社の所長に「われわれもあの頑張りに負けられない」と言われるまでに成長しました。
 現場の進捗(しんちょく)に遅れ気味の設計班も現場での調査後、夜を徹して図面を仕上げ、翌朝から直ちに施工したことも度々ありました。工事の節目の工程会議では、各隊に比べ一番工期が遅れている隊長の形相は責任感から鬼気に迫り「再度検討して、明朝再提出します」と叫ぶ場面もありました。
 各隊の個別問題については毎晩の本社ミーティングで即断即決され、直ちに現場へ連絡したり、その席から「柱の銅板巻きを30本追加する。期限は10日間」といった指示がなされることもあり、現場では「魔の深夜電話」と呼んでいたそうです。
 うれしいこともありました。六甲道駅復旧で、現場に隣接するビルの2階部分に「工事の皆さま、おケガのないように!」との横断幕が掲げられ、大きな励みとなりました。
 一方、品質管理も独立したチームを結成し、各現場を巡回させました。工程を急ぐ現場と、安全性第一を考える品質管理チーム側で職烈(しれつ)な議論が毎日かわされ、ここも戦場でしたが運輸大臣のコメントとして「現地ではハイグレードな復旧が進められている」との報道があり、その苦労も報われました。
 山陽新幹線は新大阪−姫路間のレールが1本につながり、3月30日、電気軌道総合試験車(ドクターイエロー)での安全性確認が始まりました。工事関係者にとっては実質的な運転再開の日であり、高まる緊張の中、ドクターイエローが姫路駅から新大阪に向け最徐行で出発しました。車内に響きわたる「異常なし」の確認に緊張しながら4時間かかって、やっと武庫川にさしかかったころ、各現場ごとにヘルメット姿の集団がこちらに向かって一斉に手を振っているのが見え、涙がこぼれてしまいました。乗り込んでいた復旧部長以下顔を見合せ、完全な復旧がなったと確信した瞬間でした。
 自然の力は絶大ですが、復興するのは人間の力です。共通の目標を定め全員が力を出し切れば、不可能も可能になることをわれわれは今回の経験で学ぶことができました。神戸の復興も必ず達成され、より魅力的な街になることと確信しています。
 たかなが・あきら氏 1948年生まれ。1969年、国鉄入社。土木技術者として山陽・東北新幹線や連続立体交差化などの建設工事に携わり、現在、西日本旅客鉄道(JR西日本)建設工事部主幹。(京都新聞)
22日■きらり日曜 きずな求めて外 鉄道復帰めざし 仲間や地域との共生 JR不採用と国労闘争団
 無人の漁師の番小屋に鈴なりになって、いまかいまかと待っていたカモメの大群が、一斉に、ふわっと空に舞い上がった。
 なじみの、小柄な今井正和さん(52)が、隣のプレハブの作業小屋から顔を出したのだ。空を見上げ、「さあーっ」と日課の朝のおいさつをすませると、重そうにポリバケツを持ち、ゆっくりと浜へ。空中遊泳のカモメが後を追った。荒涼とした風景。日本海を挟んで、間近に利尻島が浮かぶ。
 波打ち際に立った今井さんがバケツの中身、イカの腹わたをぶちまけると、カモメたちはわれ先にと、ごちそうに群がった。
 その間げきを縫うかのように、同僚の竹谷勝二さん(51)と万城目匠さん(45)がさっと小屋を出て、規格に沿ってさばいたイカを1枚ずつ、丁寧に天日に干す作業に取りかかった。
・事業に手ごたえ
 3人は、鉄道職場への復帰を願う、北海道稚内市の国労稚内闘争団の仲間だ。と同時に、73人の団員らがつくった有限会社「ユーズカンパニー」の社員でもある。会社では、土木・建築、交通・警備、水産加工の3つの事業部門のうち、水産部門「真イカの一夜干し」を受け持つ。
 市内坂ノ下の浜辺に立つ、地元の漁師から借り受けた10畳ほどの小屋が、彼らの仕事場だ。作業は単調だが、手間がかかる。
 闘争団の団長でユーズカンパニーの代表取締役を務める木山誠二さん(50)は「製品に自信はある。しかし生協、スーパーにはまだ卸せない。大手には買いたたかれるんです。コストを下げて販路を広げなくては」と経営者としての悩みを打ち明けた。
・互いに支え合い
 竹谷さんらは喜んで今の仕事に就いたわけではない。ほかの団員同様、地元で生まれ育ち、旧国鉄で働き、解雇された。所帯持ちの彼らにとって月の収入が約16万では苦しい。仲間で融通し合ってどうにか暮らしている。「地域が応援してくれるのでどうにか…」と木山さん。
 毎朝8時半に出勤し、前日、港で買い付けた200杯の真イカをまず海水に漬け、しばらく置いて包丁でさばく。次に真水洗い。もう一度、別にくみ上げた海水で塩味をつける。
 「鮮度を保つのに、暖房が使えない。冬場はちょつとつらいな」と竹谷さん。
 下ごしらえをしたら、戸外で約3時間、天日に干す。表、裏、足の部分と満遍なく干し上がるように、途中、3、4回イカをひっくり返す。屋内に取り込んだ後、今度は、虫がついていないか虫ピン片手に点検作業。合格品を真空包装し、冷凍庫へ収納して一日の仕事を終える。
 稚内から宗谷線の1両の鈍行で約2時間。人口1200人余りの音威子府(おといねっぷ)村でも同じように旧国鉄に勤め、JRに採用されなかった国労組合員48人が、労働者協同組合「おといねっぷ」のもとに、出稼ぎと、羊かんづくりに木工細工で、互いの生活を支えていた。
 「自ら働く場を。そして村おこしにも」。ここの闘争団の団長と協同組合の理事長を兼務する鈴木教さん(40)はこう説明した。
・「やればできる」
 村民が無償で提供してくれた木造平屋の一軒家を改造した羊かん工場では、蛯名広之さん(47)ら3人が、手づくりの新商品「よもぎ羊かん」の製造に精を出していた。
 前の日の夕方、細かい手作業で小豆をより分け、次の朝、一升がまで煮る。水に潰して皮をむき、さらに煮込む。豆をつぶし、あくをとり、できたあんこを絞り、機械で混ぜ、またガスコンロにかけ、冷やして練って、と分刻みの作業が続く。毎日200本つくる。
 「髪の毛一本、蚊一匹でも混ざったらおしまい。清潔第一。トイレには制服を脱ぐんです」と岡島孝一さん(46)。「最初は体調を崩したが、もう慣れた」と蛯名さん。
 「やればできる」との自信が売れ行き増につながり、今年になって4種の羊かんの値段を各600円から500円に値下げした。
・村おこしに一役
 「おといねっぷ」では、村が提供した倉庫と工作機械を使い、クルミ科のウォールナットを素材に各種の木工品も製作している。そして、羊かんとこの木工品が、過疎の村に希望を与えている。
 「核となる企業がない村にとって協同組合の事業は一村一品運動につながる。援助を惜しまない」と村役場振興課の大賀弘幸さん(32)は話した。
 JRの社宅と隣り合めせの団員の住宅は、村が国鉄清算事業団から買い上げ、貸与している。「敵対意識なんてありません。子供たちも仲良く遊んでいる」と鈴木さん。
 いまの仕事に打ち込み、行き交う人に笑顔を絶やさない鈴木さんたちだが、願いは一緒、「鉄道職場への復帰」だ。しかし、もし現実になったら「おといねっぷ」はどうなる、地域はどうなる。
 役場の大賀さんも「早く(解雇問題が)解決してほしいが、そうなったらという不安もある」と話した。漁業の衰退でやはり人口の減少に悩む稚内でも、事情は同じだ。レールへの思いと、自活のために始めた事業への意欲、それに地域の再生とが微妙に縮み合っている。
 最北の地では、9月3日、深川と名寄を結ぶ赤字ローカル線の深名線が姿を消した。(文・岡田隆夫、写真・赤沢修一)(京都新聞)
■地下鉄サリン 謀議認める 麻原被告供述 「幹部が持ちかけた」
 今年3月の地下鉄サリン事件で、オウム真理教の教祖麻原彰晃被告(40)=殺人罪などで起訴=が捜査当局の調べに対し「事件の直前に教団幹部から地下鉄にサリンをまくことを持ち掛けられ、捨てたはずなのにまだ残っていたのかと驚いたが了承した」との内容の供述をしていたことが、21日分かった。麻原被告が地下鉄サリン事件について、事前謀議への関与を認めたのが明らかになったのは初めて。
 供述にはほかの幹部の供述と食い違いがあるというが、教団トップが坂本弁護士一家事件に続き地下鉄サリン事件でも自分の関与を認めたことで、ほかの被告らの公判にも影響を与えそうだ。
 地下鉄サリン事件では5月、教団幹部を中心に34人が逮捕され、これまでに麻原被告ら13人が殺人、殺人未遂罪で起訴された。
 最近になって麻原被告は「今年に入り、警察の操作がオウム真理教に追っていることを知り、保有していたサリンの材料をすべて廃棄するよう命じた。その後教団幹部から『地下鉄にサリンをまきましょう』と持ち掛けられた。まだ残っていたのかと驚いたが、言う通りサリンを散布することを了承した」との内容の供述をした。
 これまでの調べによると、教団は平成6年2月、山梨県上九一色村の教団施設「第7サティアン」で約30`を製造、このうち約20`を使用しており、残りは水に分解して処分。さらに今年元日付の新聞で、同村で「サリン残留物が検出された」と報道されたため、麻原被告が信者に命じてサリン生成の原材料を付近の井戸などに捨てたとされ、麻原被告の供述内容はこうした一連の動きを念頭に置いているとみられる。
 地下鉄サリン事件に使われたサリンは事件直前の3月19日から当日の20日未明にかけて、教団「厚生省大臣」遠藤誠一被告(35)らが「化学班」責任者土谷正実被告(30)の指導を受けながら新たに作ったことが分かっている。(朝日新聞)
23日■国連総会で米大統領 地下鉄サリン事件に言及 テロ対策重要性訴え
 【ニューヨーク22日共同】クリントン米大統領は国連創設50周年記念総会初日の22日、各国首脳のトップを切って演説し、国連がこの50年間で果たした役割をたたえる一方で、官僚機構の改善や重視する業務内容の見直しなど「国連の行政改革」に対し前向きに取り組むよう訴えた。
 また、東京で今年3月に発生した地下鉄サリン事件にも言及、核物質密輸やテロ活動を行う国際的な犯罪組織への対策で各国が協力するよう呼び掛けた。
 大統領は演説で、米国が国際犯罪組織問題で@コロンビアの麻薬組織との取引禁止Aマネーロンデリング(資金洗浄)の捜査強化B友好国政府による犯罪防止活動に対する支援−などの新たな取り組みを進めていると表明、加盟各国の支持を求めた。
 大統領は、米国がこれまで国連に対し財政面で大きな貢献をしてきたことを強調。米国の国連分担金未払い問題については「米政府は責任を達成するための強い意思がおる」と述べ、国連の活動に懐疑的で米外交予算の削減を狙う共和党主導議会の説得に力を入れると表明した。(京都新聞)
■地下鉄事件前 麻原被告 サリン製造指示 車中で遠藤被告に
 3月の地下鉄サリン事件で使われたサリンの詳細な製造経緯が、22日までのオウム真理教幹部被告らの供述で判明した。事件2日前に教祖の麻原彰晃被告(40)が「厚生省大臣」遠藤誠一被告(35)に自動車内で「できるか」と製造を指示。事実上の「法皇内庁長官」中川智正被告(32)は1リットルだけ隠していたサリン合成直前の物質を使って遠藤被告とともに事件当日未明までに生成していた。
 検察側は24日の中川被告の初公判を皮切りに東京地裁で始まる同事件の公判で、こうした事件経過を明らかにしていくとみられる。
 供述によると、麻原被告は3月18日、遠藤被告ら信者5人と東京都練馬区のレストランから山梨県上九一色村の教団施設に帰る車の中で「ジーヴァカ(遠藤被告の教団名)、できるか」などとサリン製造を指示、遠藤被告は「条件がそろえばできます」と答えたという。
 一方、中川被告も同じ日に、上九一色村の「第6 サティアン」の自室で「科学技術省大臣」だった故村井秀夫元幹部=死亡当時(36)=から「サリンをできるだけ早くつくってくれ。つくれるだけつくってくれ」と言い渡された。
 麻原被告は警察の強制捜査が迫ったのを察知した1月、サリン材料を廃棄するよう指示したが、中川被告はサリンの直前物質「メチルホスホン酸ジフロライド」を「つくるのにとても手間がかかるので捨てるのはもったいない」と一リットルだけ「第二上九」の敷地内に隠しており、これが使われることになった。(京都新聞)
■SL北びわこ号雄姿 記念テレホンカード 長浜観光協が発売
 「SL北びわこ号」が21日から再び滋賀県の湖北路を走りはじめたのを記念し、長浜観光協会(長浜市)はびわこ号のテレホンカードの発売を始めた。旧長浜駅舎をバックに、快走するSLの雄姿をカラーでデザインしている。
 カードは、50度数で1枚800円。1000枚を同駅舎鉄道資料館と長浜駅観光案内所で販売している。郵送でも受け付ける。希望者は〒526 長浜市高田町12ノ34の同観光協会 0749(65)6521へ。郵送料は430円。(京都新聞)
24日■私の提言 よみがえれ神戸 レールをつなぐB 沿線住民の協力に感謝 中尾智俊
 わが駅、六甲道駅を見た瞬間、駅舎の無残な姿に呆然(ぼうぜん)となり、一瞬、我を忘れる思いでした。駅舎は大破、高架橋は崩れ落ち、駅名看板が手に届く所まで落下し、駅舎の中には全く入ることが出来ない状態でした。これは半年、いや1年は復旧までにかかると思ったほどでした。
 六甲道駅の復旧工事は翌日1月18日から素早く開始され、大型クレーン数機、解体機が次々運びこまれ、すごい迫力で作業が開始されました。現場作業員は1日ピーク時には2000人ぐらいが動員され、遠く東京方面から復旧に来られた人もおられました。「駅長さん、わしら10日以上休みなしや。やらなあかんしな」と心強い言葉でしたが、不眠不休の作業員の人たちには本当に気の毒なことであり心痛む思いがしました。
 当初の予定より大幅に工期の短縮となったのは、復旧に当たって駅周辺、バスターミナルの提供、昼夜騒音の絶えない作業の中、沿線住民のみなさんの理解と協力があって進められたことでした。
 4月1日の六甲道駅営業再開までには、私たち社員は、かつて経験したことのない日々の連続でした。この間、私たち社員のすべき仕事は、鉄道の持つ安全、正確、大量、速達性すべてが断たれた鉄道輸送に変わる「代替バス輸送」に携わることでした。
 地震発生から7日目の1月23日から、三ノ宮−甲子園口、のちに住吉間の全線開通まで68日間、駅近くの国道に仮バス停留所を設け、朝6時から22時30分までバス要員としての生活が始まりました。バス到着時刻の不明確、積み残し、雨風の強い日での長時間待ち、利用客には大変ご不便をおかけしました。ある時は交通渋滞でバスが到着しないため反対方面の回送バスを急きょ回転させ、利用客に拍手を受け喜んでいただいたことを社員から聞きました。
 停留所では、水、トイレ、灯(あか)りのない状況の中、与えられた仕事を完遂しなければならないという使命感、責任感が日ごとに社員に芽生えてきました。普段は全く交際のなかった洋服店、食堂、銀行からも休憩所を与えていただいたことや、21時過ぎには、いつもご婦人がポットに温かいお茶を入れて励ましの言葉を掛けてくださり、一杯のお茶で体が温まり、この休息が次への活力となりました。みなさん被災者でありながら、素朴な美しい心、人の優しさ、温かさ、小さな心配りに触れ、非常にうれしく感銘を受けました。
 4月1日、仮駅舎ではありましたが、待望の全線開通、営業再開となった駅改札口で、「おはようございます」と、利用客をお迎えすると「おめでとう」「よかったね」と声をかけられ目頭が熱くなりました。
 多数の人々の協力を得て、JR西日本は存在していることを震災で改めて知り、安全輸送が最大のサービスであることを肝に命じ、利用客の期待にこたえ、また、地域のみなさまに愛されるよ、つに、神戸の街、復興とともに頑張ります。
 なかお・ちえとし氏 1945年生まれ。1964年、国鉄入社。三ノ宮駅首席を経て現在、西日本旅客鉄道(JR西日本)六甲道駅長。姫路市在住。(京都新聞)
■サウンドフィールド京都 L 中川 真 消えゆく音 耳に残るSLの汽笛の音 新京都駅ばどんな音が…
 先日、東本願寺でハトの鳴き声を録音していたら、マイクが蒸気機関車の汽笛をかすかにとらえた。きっと梅小路の蒸気機関車館から聞こえてきたのだろう。でも、そんな事情を知らない旅行者だったら、びっくりするのではないか。蒸気機関車が、現役としてプラットホームに次から次へと滑り込んでいたのは、もはや30年以上も前のことだからだ。当時、小学生だったぼくの耳には、いまでも勇ましい汽笛の音が残っている。
 音は物でないから失われやすい。鳴り響いては消えるという、一回性に支えられている。音を維持するためには、絶えずあらたに鳴らされねばならない。祇園囃子(ばやし)のように、たとえ年に一度のことであっても、担い手や状況さえ生きていれば、決して失われはしない。さっきの蒸気機関車の汽笛だって、梅小路周辺の人々にとっては、いまも日常の音なのだ。だけど状況の変化にしたがい、音が徐々に失われていくことはしばしば起こる。
 その場合、消失はふたつの過程を経る。まず実際に音が消え、次に人々の記憶からも消える。そのとき、音は正真正銘なくなったといわねばならない。ぼくたちのまわりでも、そういう事態は進行している。現時点での市内の代表例といえば、JR京都駅だろう。
 いま、旧駅舎はほとんど解体されているから、かつての音はもはやない。思い起こせば、京都駅で印象的だったのは、駅員さんが絶えずハサミをカチャカチャさせ、切符をパチンと切るあの音であった。ひとりひとりのハサミのリズムが異なっていて、改札口が、サウンドゲートといってもよいような、ホームに入るための独特の仕切りになっていた。
 この音は90年代初頭まであったけれど、現在ではご存じの通り、駅名入りのハンコが押されるだけだ。聞けば、ハサミの方が切符を重ねて切れるから、駅員さんにも好まれていたという。余談だけど、なぜハンコ式になったのかといえば、キセルなどの不正防止とのこと。それから、発車ベルもあまり鳴らなくなった。いまでは、特急など特別な列車の発車時に使われているだけだ。
 というふうに、ここ数年の変化を見る(聴く)限り、京都駅は静かになってきている。でも、いま挙げた音は、いかにも京都駅らしい個性的な音だったというわけではない。どこの駅にでもありそうな音だ。
 それはきっと、乗降客の数に比べて、コンコースなどの空間が貧弱だったからだろう。欧米やアジアの主要都市の駅舎は、格別の雰囲気がある。文字どおりターミナル(終着駅)として、行き止まり型の線路の上を高いドームが覆い、あらゆる音が混ざり合って、静かに立ち昇っていく。その混合音に、民族や文化の特徴が出るのだ。
 では、新しい京都駅はどうなるのだろう。完成予想図によれば、大きな広場が駅舎のなかに何ヵ所か用意されている。とすると、自然発生的にストリート・パフォーマー(大道芸人)が押し寄せてくる可能性がある。だったら、日本の駅としては珍しい光景が展開されるだろう。管理上からすれば問題に違いないが、ユニークな路上大衆文化の発信要素になるかもしれないから、ちょっと太っ腹で、見守ってみてはと思う。(京都市立芸術大学助教授)(京都新聞)
■中川被告初公判 強制捜査阻止が目的 地下鉄サリン、検察側主張 首都大混乱を狙う 麻原被告の指示で 東京地裁
 地下鉄サリン事件の役人、殺人未遂罪などに問われたオウム真理教の事実上の「法皇内庁長官」中川智正被告(32)の初公判が24日、東京地裁(池田修裁判長)で開かれ、検察側は冒頭陳述で目黒公証役場事務長監禁致死事件などの強制捜査が迫ったのを察知した教祖の麻原彰晃被告(40)=殺人罪などで起訴=が、警察組織に打撃を与えるとともに首都中心部を大混乱に陥れて強制捜査実施を不可能にしようと考えて行った、と指摘した。地下鉄サリン事件の全容が法廷で明らかになったのはこれが初めて。罪状認否で中川被告側はこの日審理入りした地下鉄サリン事件、元教団付属医院薬剤師落田耕太郎さん=当時(29)=リンチ殺人事件のいずれもほう助犯にすぎないと主張した。
・中川被告 製造は認める
 中川被告は地下鉄サリン事件について「村井さん(秀夫元幹部)に言われてつくった」と製造を認めた上で「発散計画は知らず、共謀もしていない」と述べた。
 また落田さん事件については「早く楽にしてあげたかった」と述べ、弁護人は両事件とも共謀はなく、ほう助犯に当たると主張した。
 冒頭陳述によると、麻原被告は警察に打撃を与えるため、警視庁などのある霞ヶ関駅を走る地下鉄でサリンをまこうと決意、3月中旬ごろ村井元幹部に計画実行を、「厚生省大臣」遠藤誠一被告(35)にサリン生成を命じた。
 麻原被告は1月に、強制捜査に備えてサリンを処分させていたが、中川被告はこの時、サリン合成直前の物質「メチルホスホン酸ジフロライド(ジフロ)」約1.4`を残していた。
 これを知っていた村井被告は3月18日、山梨県上九一色村の「第6サティアン」の中川被告の部屋に行き「ジフロ」を遠藤被告のところへ持って行き早急にサリンをつくるよう指示。この際「地下鉄でサリンを使うんだ」と中川被告に話していた。
 中川被告は遠藤被告と一緒に、19日夕から製造を開始し約6−7リットルをつくった。精製に時間がかかることから「できましたが、まだ混合物です」と麻原被告に指示を仰いだところ「いいよ、それで」と了承したという。中川被告は村井元幹部からナイロンポリ袋を受け取り、これを切って小袋を作りサリンを詰めた。 一方、村井元幹部は麻原被告の了承を得て実行犯を選定。18日、メンバーを「第6」の自室に集めて計画を指示。地下鉄の路線図を見ながら「警視庁に近い出口はどこだろう」などと話し合って、電車を選定した。実行グループは19日夜、東京都渋谷区内のアジトに移動、現場を下見するなどした。
 グループは村井元幹部の指示でいったん「第7サティアン」に戻り、予行練習の後サリンを受け取り、2路線5電車でのばらまきを実行した。
 中川被告に次回公判以降審理に入る松本サリン、目黒公証役場事務長監禁致死、坂本弁護士一家殺害の3事件についてもこれまでの調べに対し事実関係をほぼ認めており、26日に初公判を迎える麻原被告は一層苦しい立場に追い込まれた。
 中川被告は警視庁に逮捕された直後に教団を脱会している。
 お断り 地下鉄サリン事件の死傷者数を、京都新聞社はこれまで警視庁の調べなどに基づき死者12人、重軽傷者約5500人としてきましたが、東京地検は起訴状で死者11人、重軽症者3796人としたため、今後の裁判報道ではごの数字に統一します。(京都新聞 夕刊)
■中川被告初公判 教祖揺るがす震源 裁判の中核 教壇の闇知る立場
 24日東京地裁で初公判が開かれた中川智正被告の公判は、一連のオウム裁判の中で中核的な性格を持つ。同被告は教祖麻原彰晃被告の側近中の側近として教団の闇(やみ)の部分を知る立場にあり、初公判でサリン製造など犯罪の骨格部分を認めたことから、麻原被告の無罪主張の方針を揺るがす「震源」にもなると予想される。
 中川被告が起訴されたのは、この日審理された地下鉄サリンと落田耕太郎さんリンチ殺害をはじめ松本サリン事件など五事件で、いずれも麻原被告の起訴事実と重なり合っている。
 検察側はこれまでのオウム公判で、中川被告がサリン量産プラントの稼働責任者として70d量産計画の旗振り役を務めるなど「教団犯罪」の中で麻原被告や故村井秀夫元幹部に次ぐ中心メンバーだったとの構図を展開してきた。
 さらにこの日の冒頭陳述で、中川被告が村井元幹部から「地下鉄でサリンを使うんだ」と言われ計画の全体像を知りながらサリン製造を実行したと指摘、同被告の役割は一段と明確になった。(京都新聞 夕刊)
■中川被告初公判 検察側冒頭陳述骨子
 東京地裁で24日開かれたオウム真理教中川智正被告の初公判の検察側冒頭陳述(地下鉄サリン事件関係)骨子は次の通り。
 平成七年二月、教団は目黒公証役場事務長拉致(らち)事件を起こし、麻原彰晃被告は大規模な強制捜査への危機感を抱いた。そこで警察組織に打撃を与え、首都中心部に大混乱を起こして捜査を不可能にさせようと考え、松本サリン事件(六年六月)で効果を実験済みのサリンを警視庁などのある霞ヶ関駅を走る地下鉄内でまくことを決意した。
 麻原被告は故村井秀夫元幹部に計画実行を命じるとともに遠藤誠一被告に対し新たにサリンを生成するよう指示。中川被告は七年三月十八日ころ、村井元幹部から「地下鉄でサリンを使うんだ」と言われ、遠藤被告とともにサリンをつくるよう指示され、松本サリン事件と同様、自分も実行犯に指名されると考えた。
 中川、遠藤両被告は遠藤被告の実験棟でサリンを生成したが、不純物が含まれていたため、遠藤被告は麻原被告に「できました。ただし、純粋な形になっておらず、混合物です」と報告。麻原被告は「いいよ、それで」と、混合液のままで使用することを了解した。
 その後、中川被告は村井元幹部からナイロン・ポリエチレン袋を渡された上、サリンを入れるよう指示され、遠藤被告とともに、それぞれサリンが六百cずつ入った袋を十一個作り、さらに各袋をナイロン袋に入れて二重袋にした。
 これらの袋は遠藤被告が第7 サティアンに持参して村井元幹部に渡し、その後、村井元幹部は同じ袋に水を入れた(実験用の)約五袋を作った。
 一方、村井元幹部は犯行計画の実行者を麻原被告の了承を得て教団幹部の中から選ぶことにし、林泰男容疑者と広瀬健一、横山真人、林郁夫、豊田亨の各被告の計五人を選定。犯行を確実にするため井上嘉浩被告を現場指揮者兼実行補助者とした。
 村井元幹部は三月十八日早朝、第6 サティアンの自室で、井上被告に犯行計画を打ち明けた。またそのころ、同室で五人に、同二十日朝、地下鉄にサリンをまくことを指示した。
 村井、林、広瀬、横山、井上は同十八日午後三時ごろ、村井元幹部の自室で、地下鉄の路線図などを見ながら、サリンをまく路線、駅はどこが適当か検討。村井元幹部は「どうせやるんだったら、警視庁に近い方がいい」などと言い、霞ヶ関駅を走行する営団日比谷線、丸ノ内線、千代田線の三路線にまくことを指示するとともに、乗客が多いラッシュ時に実行するということで同二十日午前八時に一斉にまくことを指示した。
 その後、村井元幹部は実行者を車で送迎などする支援者として、新実智光、杉本繁郎、北村浩一、外崎清隆、高橋克也の五人を選定し、実行者と運転者の組み合わせも決め東京へ行くよう指示した。
 井上ら十一人は同十九日午後九時ごろまでに、東京都渋谷区宇田川町のアジトに集合。井上主導で担当する地下鉄の路線を決めるとともに、細かい注意事項を指示した。担当は日比谷線中目黒行きが林泰男と杉本、同線北千住行きが豊田と高橋、丸ノ内線荻窪行きが広瀬と北村、千代田線代々木上原行きが林郁夫と新実、丸ノ内線池袋行き横山と外崎で、@サリンをまくのは同二十日午前八時A降車の直前にまくB当日は午前六時ごろには渋谷のアジトを出発するC実行者の降車駅は林泰男が桃葉原、豊田が恵比寿、広瀬が御茶ノ水、林郁夫が新御茶ノ水、横山が四谷−などを確認させた。
 実行者と運転者らは同十九日午後十時ごろ、乗用車数台に分乗して渋谷アジトを出発。担当路線の降車駅で実際に乗車するなどして現場を下見し、犯行直後の駅付近の待機場所を決めたりした。
 村井元幹部は同二十日午前一時半ごろ、渋谷アジトに電話し、林にサリンを渡すので第7サティアンまで取りに来るよう指示。同三時ごろ、林ら実行者は同サティアンに入った。
 村井元幹部は、遠藤被告からサリン入り袋十一個を受け取った後、同サティアンに戻っていた井上被告に、袋を破るのに使うため、先が金属製の傘を買ってくるよう指示した。井上被告は静岡県富士宮市内のコンビニエンスストアでビニール傘七本を購入して戻ると、村井元幹部は教団メンバーに指示して、傘の先端部の金具部分を削らせ、先をとがらせた。
 実行グループは村井元幹部の指示で、水の入った袋五個を傘の先で突き刺し、予行演習をしたが、他の乗客に不審に思われないようにするため、袋を新聞紙で包んだ方がよい、という意見が出た。
 サリンの入った十一袋は、林泰男容穎者の申し出で同被告だけは三袋、他の四人は二袋ずつまくことになり、実行グループは村井元幹部から袋とビニール傘を受け取り、袋は豊田被告のショルダーバッグにしまった。
 また、サリン中毒の予防薬各一錠が配られ、遠藤被告が犯行の二時間前に服用するよう指示した。
 同日午前五時すぎ、渋谷のアジトに戻った実行グループは袋と傘を分配した上、予防薬を服用。さらに林郁夫被告がサリン中毒の治療薬の入った注射器を一本ずつ渡し、同日午前六時前後、乗用車でアジトを出発した。
 実行グループはそれぞれ、はさみやカッターナイフで外袋を取り除いた上、傘の先で袋を突き刺して犯行を実行した。
 検察冒頭陳述の全文は25日付朝刊で掲載します。(京都新聞 夕刊)
■オウム裁判 「サリン」悔悟の言葉なし 中川被告初公判 無差別殺人裁きの場に 「尊師らの共謀知らず」
 無差別殺人を狙った犯罪史上例を見ない地下鉄サリン事件。教祖麻原彰晃被告(40)の「側近中の側近」はサリン製造を認めながら「具体的な計画は聞いてなかった」と共謀を否定した。24日午前、殺人罪に問われたオウム真理教幹部のトップを切って初公判の法廷に立った中川智正被告(32)。逮捕から半年。「医師として許されぬ行為をした」と反省の念を漏らした元内科医は、証言台で麻原被告を「尊師」と呼び、揺れる心の内をにじませた。法廷では検察側が次々と犯行の詳細を明らかに。今も後遺症に苦しむ被害者や遺族たちはやり切れぬ思いで審理を見詰めた。
 −廷内
 「サリンを合成し、袋詰めしたことは間違いありません」。中川智正被告は初公判で法廷によく通る声でサリン製造を認めた。しかし麻原彰晃被告を法廷で「尊師」と呼び、多数の死傷者を生んだサリン製造についてのはっきりした悔悟や反省は聞かれなかった。
 午前10時前、東京地裁で最大の104号法廷へ足を大きく開いて歩きながら入廷。「現在は無職です」。中川被告は冒頭の人定質問で裁判官に向かってやや胸を張り、落ち着いた口調で答えた。
 逮捕された時と同じ丸刈り。濃紺のブレザーにしわが寄ったスラックス姿。逮捕時、以前の中川被告を知る人たちがその険しさに驚いた目付きには、少し柔和な感じも。
 罪状認否と意見陳述で中川被告は「サリンを発散させる計画について尊師らが共謀したことは事前に知りませんでした」「どこで発散させるか具体的計画は聞いていなかった」と淡々と述べた。
 これに先立つ起訴状朗読で地下鉄事件の死亡者名簿が読み上げられると天井を仰いだり目をつぶっていた。
 「許す気にはなれない」
 −被害者遺族
〈地下鉄サリン事件の経過〉
平成7年  
2月28日東京都品川区の路上で、帰宅途中の目黒公証役場事務長の仮谷清志さんが、数人の男にワゴン車に連れ込まれ拉致(らち)される。
3月19日オウム教信者の現職自衛官らが、東京都港区の教団東京総本部に火炎瓶を投げ込む「自作自演」事件を起こす
 20日地下鉄サリン事件発生
 22日警視庁仮谷清志さんの逮捕監禁容疑で、オウム真理教関連施設を強制捜査
4月8日教団「治療省大臣」林郁夫被告が潜伏中の石川県内で、盗難自転車に乗っているところを逮捕
 20日教団「建設省大臣」早川紀代秀被告が住居侵入で逮捕
 26日サリン製造に関与したとされる「化学班」キャップ土谷正実被告、「厚生省大臣」遠藤誠一被告が犯人隠匿の現行犯で逮捕
5月15日警視庁が地下鉄サリン事件の殺人容疑などで麻原彰晃被告らの逮捕状を用意。事実上の「諜報省大臣」井上嘉浩被告が公務執行妨害で逮捕
 16日警視庁が山梨県上九一色村の教団施設で麻原被告らを逮捕
 17日事実上の「法皇内庁長官」中川智正被告が殺人罪などで逮捕
10月24日地下鉄サリン事件で中川被告の初公判
 「何であんなことをしたんですか…」。中川智正被告に対する初公判が始まった24日、地下鉄サリン事件で肉親を奪われた遺族の間に、やり場のない思いが広がった。「中川は医者なんでしょ。医者のすることじゃないですよ」。伯父の渡辺春吉さん=当時(93)=を奪われためいの和さん(63)は東京都渋谷区の自宅のテレビで見守った。
 一緒に住んでいた春吉さんが亡くなって、今は一人暮らしの和さん。「命令がなかったらやらないで済んだのかもしれないが許す気にはなれない。憎んでも憎み切れない」と言い切った。
 殉職した営団地下鉄の助役高橋一正さんの妻シズエさん(48)はこの日、「裁判のことが気になって」と仕事を休んで足立区の自宅にこもった。中川被告が医師免許を返上し、事件を悔やんでいると伝えられることについて「いずれにせよ極刑だと思っている。マインドコントロールから解き放たれたという(信者の)話はよく聞くけれど、遺族に対する謝罪の言葉もないし、信用できない」と一気に話した。
 −地下鉄現場
 地下鉄サリン事件で高橋一正・駅助役=当時(50)=と菱沼恒夫・代々木電車区助役=同(51)=が犠牲になった営団地下鉄霞ヶ関駅は24日朝も平常通り、付近の官庁や企業などに向かう通勤客で込み合った。
 事件以来続く駅の警戒態勢は、中川、麻原両被告の初公判を前に今週初めから強化中で、通路には制服警官の姿も目立つ。
 野尻辰秀駅務区長(43)は「事件は記憶から消えていない。職員の間では話題にすることを避けているようだが、2人が身をもって乗客を守ったという事実はだれもが忘れていない」と話した。
 事件現場の千代田線ホームで東京都文京区千駄木の会社員長倉朋英さん(33)は「地下鉄への不安は薄らいだとはいえ、今でも電車に乗ると網棚に目が行ってしまう。これまでは報道だけでしか分からなかったが、裁判で事件の真相が解明されることを期待している」と語った。
・過去最高の4158人 傍聴希望者
 地下鉄サリン事件で殺人罪などに問われた中川智正被告の初公判が東京地裁で開かれた24日朝、裁判の傍聴希望者が4158人に上り、昭和58年10月のロッキード事件丸紅ルート一審判決の3904人を超え過去最高を記録した。これまでロ事件に次いで傍聴希望者が多かったのは今月18日の元顧問弁護士青山吉伸被告(35)の初公判の3076人。教祖の麻原彰晃被告の26日の初公判には、さらに多くの人が詰め掛けるとみられる。
 この日の中川被告の公判での一般傍聴席は56席。青山被告の初公判のケースと同様、日比谷公園内の小音楽堂でパソコンによる抽選を実施した。(京都新聞 夕刊)
■平均7−8%値上げ申請 JR北海道、四国、九州
 経営不振に陥っているJR北海道、四国、九州の3社は24日、平均7−8%値上げし初乗りを160円とする運賃引き上げを運輸省に申請した。幹線は利用客の多い近距離区間だけを引き上げ、長距離は据え置いたのが特徴。運輸省は上げ幅を圧縮して運輸審議会の答申を経た上で来年3月までに認可する見通し。(京都新聞 夕刊)
■首都の大混乱ねらう 検察側が冒頭陳述 捜査迫り危機感「警察組織に封打撃を」
 オウム真理教はなぜ、通勤・通学客で満員の地下鉄に猛毒のサリンをまいたのか。犯行に至るまでにどんな謀議、準備があったのか。検察側は冒頭陳述で、次のように指摘した。(呼称略)
 ◆大混乱に陥れろ
 今年2月末に起きた目黒公証役場事務長拉致事件に関連して、教団への強制捜査が行われる情勢となった。
 危機感を抱いた麻原彰晃は、警察組織に打撃を与えるとともに、首都中心部を大混乱に陥れるような事件を起こすことで、強制捜査を不可能にさせようと考えた。武器は、前年6月の松本サリン事件で効果が実験済みだったサリン。標的は、警視庁などがある霞ケ関駅を走る地下鉄に絞られた。
 ◆残っていたジフロ
 麻原は1月初め、教団が所有するサリンをすべて処分するよう指示していた。
 そこで麻原は3月中旬ごろ、教団幹部の会合から帰る車中で、「厚生省」トップの遠藤誠一に、新たにサリンを生成することが可能かを質問。確認のうえで、「科学技術省」トップの村井秀夫に地下鉄サリンの犯行計画を具体化し、実行するように命じた。
 ここで、思わぬ偶然があった。1月のサリン処分に立ち会った中川智正は、サリンの中間生成物であるメチルホスホン酸ジフロライド約1.4`を処分するのが惜しくて、自分の判断で保管していたのだ。ジフロがあれはサリンを早く生成できる。
 このことを知っていた村井は3月18日、中川に対し、遠藤のところヘジフロを持っていき、2人でサリンを早急に生成するように指示した。その時、村井は「地下鉄でサリンを使うんだ」と言った。
 ◆純度30%
 中川と遠藤は、山梨県上九一色村にある遠藤の実験室「ジーヴァカ棟」で作業に入った。サリン中毒にならないよう頭からビニール袋をかぶり、その中に酸素ボンベの酸素を引き込んだ。指導したのは「化学班」キャップ土谷正実。そして19日夜、純度30%のサリン混合液6、7リットルの生成に成功した。
 サリンだけを分留するには、さらに半日から1日かかる。遠藤は麻原に報告した。
 「できました。ただし、まだ純粋な形になっておらず、混合物です」
 麻原の答えは「いいよ、それで」だった。
 サリンの混合液は約600cずつ、教団特注のナイロン・ポリエチレン袋に注入された。全部で11袋が、遠藤から村井の手に渡った。
 ◆警視庁に近い出口
 これに先立ち、村井は地下鉄で実際にサリンをまく5人を選び、現場指揮者には「諜報(ちょうほう)省」トップの井上嘉浩を指名していた。村井は18日早朝、第6サティアン内の自室で6人に計画を打ち明けた。同日午後3時にはサリンをまく路線と駅はどこが適当か、同じ部屋で検討した。
 発散役と、彼らを犯行現場まで送迎する運転役、それに井上の計11人は19日夜、それぞれが担当する現場の下見を行い、東京都渋谷区のアジトに戻った。20日午前1時30分ごろ、上九一色村の村井から電話がかかってきた。サリンを渡すので受け取りに来い、という指示だった。
 ◆傘の先
 村井は、ひと足先に上九一色村に戻ってきた井上に命じて、静岡県富士宮市内のコンビニエンスストアでビニール傘7本を買ってこさせた。「科学技術省」次官の信徒が、傘の先の金具部分をグラインダーで削り、先をとがらせた。
 発散役5人が第7サティアンに着いたのは午前3時。村井の指示が飛んだ。
 ナイロン袋は二重になっているので、地下鉄に持ち込む際には、突き破りやすいように外側のナイロン袋を取り除いておくこと。袋はあらかじめ電車の床に置き、傘でそれを数回突き刺してから、すぐに電車を降りて逃走すること−。
 5人は渋谷アジトに戻って予防剤を飲み、サリン入りの袋、傘、それに、発散役の一人でもある医師の林郁夫から渡された、サリン中毒の治療薬が入った注射器を手に、午前6時前後、それぞれの犯行現場に向けて出発した。
 約2時間後、5人は指示通りにナイロン袋を突き刺し、電車内や駅構内にサリンをまき散らした。死者11人、重軽症者3796人。その中には、重い脳障害を受け、現在もいわゆる植物状態の女性会社員や、将来も意識回復は望めない男性会社員らがいる。(朝日新聞 夕刊)
■地下鉄サリン中川被告初公判 起訴事実 大筋認める
 今年3月の地下鉄サリン事件に関与したとして殺人などの罪に問われているオウム真理教「法皇内庁」トップ中川智正被告(32)に対する初公判が24日午前、東京地裁で始まった。検察側は冒頭陳述で、事件の動機について「教団が、迫る捜査を妨げるため警察組織に打撃を与え、首都中心部を大混乱に陥れようとした」と述べ、計画から実際の発散にいたる事件の詳細な経緯を明らかにした。
 全国の地裁で進められている一連のオウム公判で、地下鉄サリン事件の審理は初めて。26日には教団代表麻原彰晃被告(40)の初公判が開かれる予定で、教団が起こしたとされる凶悪事件の裁判は核心部分に入った。
 検察側は冒頭陳述で、警察の強制捜査に危機感を抱いた麻原被告自身が、警視庁などのある霞ケ開駅を通る地下鉄にサリンをまくことを決断し、中川被告らにサリンを製造させた、と指摘。発散実行役5人が新聞紙にくるんだサリン入り袋を地下鉄5電車内で同時多発的に傘で突き破って発散させた場面や、乗り合わせた通勤客が口から泡を吹くなどして中毒で倒れていった様子を詳述した。
 罪状認否で、中川被告は「サリンを作って袋詰めにしたのは間違いない。尊師(麻原被告)らと共謀したことはない。どこにまくとかを、事前に知っていたわけでもない」と述べ、起訴事実を大節で認めた。
 併せて審理が始まった元信徒落田耕太郎さん(当時29)殺害事件についても、検察側は冒頭陳述で集団リンチの経過を生々しく再現。中川被告は「呼ばれて部屋に行った時には(殺人の)話し合いは終わっていたが、落田君を羽交い締めにしたのは事実。死んだのも間違いない」と関与を認めた。弁護人は、中川被告の2件の行為はいずれも殺人でなく殺人ほう助にとどまる、と主張した。検察側が申請した両事件の証拠については、共謀の場に被告がいたとする部分を除いてほぼすべてに同意した。
 中川被告は麻原被告の主治医で、側近中の側近と言われた。(朝日新聞 夕刊)
■7−8%値上げ申請 民営後初めて 1%圧縮、来春実施へ JR北海道・四国・九州
 JR北海道、JR四国、JR九州の3社が24日午前、運賃の値上げを運輸省に申請した。消費税導入時を除けば1987年の旧国鉄の分割・民営化以来、初めて。申請の値上げ率は、平均で北海道が7.0%、四国が8.0%、九州が7.8%で、初乗り運賃はいずれも現行より20円高くして160円にする、としている。運輸省は1%前後、圧縮して2月にも認可、3月から実施される見通しだ。
 値上げの理由について、3社は、旅客数の伸び悩みに加え、赤字を補ってきた経営安定基金の運用益が低金利で目減りし、今年度の赤字が確実になったため、としている。
 3社とも定期券の値上げ率を高くし、固定客から増収を図る。その半面で、マイカーや飛行機との競合を考慮して、遠距離の値上げを抑制し、特急など各種料金は据え置いた。値上げ後も、北海道に赤字が残り、他2社も97年度以降は再び赤字となる可能性が高い。今後は路線の廃止を含め、経営のさらなる合理化と、助成金の導入の是非が課題になりそうだ。
 一方、新幹線というドル箱路線を持つJR東日本、JR東海、JR西日本の本州3社は、当面は値上げの予定はない、という。旧国鉄の全国一律運賃制度が崩れたことは、地域会社ごとに経営基盤の格差をうんだ分割の一つの側面を示している。(朝日新聞 夕刊)
■「空」との競争力、ダウンは必至 JR3社の値上げ申請 近畿−九州・四国 「企画切符」は据え置き方針
 北海道、四国、九州のJR3社が一斉に運賃値上げを申請した。京阪神の利用者にとって、四国と九州は、航空機との選択が分かれる地域。阪神大震災による新幹線の不通で臨時便が盛況だった航空会社は国内路線にも力を入れており、JRの戦力ダウンは必至だ。
・「西日本」値上げせず 年度内
 JR四国によると、新大阪から松山に行く場合、新幹線「ひかり」の指定席を利用して岡山で特急に乗り換えるコースで、現在は1万430円が1万730円になる。このため、航空運賃との差は1070円から770円に縮まる。
 JR旅客各社などの調べでは、大阪−松山間のJR利用者は8月を例にとると2203人で、昨年同月より59人減った。一方、同間の8月の航空機利用者は3156人で、昨年同月より483人増えている。九州方面も同じ傾向で、JRの占める割合は、大阪−大分間が43%から35%に、大阪−長崎間が37%から31%にそれぞれ下がっている。
 航空会社は、運賃の規制緩和を受けて事前購入割引制度を導入するなど、JRとの運賃格差をどんどん縮めている。大阪の旅行代理店によると、熊本で1泊するパック旅行では、正規のJR往復運賃より2200円安い2万7900円で売り出すなど航空機に対抗しているといら。
 JTB関西広報室は「円高で海外旅行に対する割高感が高まる中で心理的な影響が心配」と話している。
 一方、JR西日本は井手正敬社長が年度内の値上げはしないと言明。今回も、値上げ申請した3社にまたがる企画切符の値段を据え置く方針だという。
・渇水・震災に加えて… 四国観光「痛い」
 こんぴら参り、道後温泉、桂浜、阿波踊り…観光立県を掲げる四国にとってJR四国の運賃値上げ申請は痛手だ。昨年の渇水、今年の阪神大震災が観光客離れに拍車をかけたのに続き、トリプルパンチになりかねない。
 四国4県を訪れた年間の観光客数は、瀬戸大橋が開通した1988年に2800万人と過去最高を記録した。しかし、香川、愛媛両県が渇水に悩んだ昨年は2300万人にガタ減り。今年は震災の影響で、香川県は上半期で昨年同期に比べて2割減った。
 JR四国も加わっている「四国観光立県推進協議会」事務局の香川県観光振興課は「苦しい事情は分かるが」としながらも、「若者や高齢者はJRを利用する人が多く、値上げの影響は避けられないのでは」と話している。(朝日新聞 夕刊)
25日■地下鉄サリン 全容明らかに 首都騒乱目的に敢行 「警視庁近く狙え」 井上被告提案 600cずつ11袋に 中川被告初公判冒頭陳述
 「首都中心部を大混乱に陥れるような事件を敢行する」「どうせやるなら警視庁に近い方がいい」−。オウム真理教の事実上の「法皇内庁長官」中川智正被告(32)の初公判の検察側冒頭陳述で24日、教祖の麻原彰晃被告(40)を頂点とする教団による地下鉄サリン事件の全容が明らかになった。
 【動機】2月の目黒公証役場事務長監禁致死事件などで事件と教団の関連が報道され、麻原被告は教団への大規模な強制捜査が近く実施されるとの危機感を抱いた。
 麻原被告は、警察組織に打撃を与えるとともに、首都中心部を大混乱に陥れるような事件を敢行し、捜査を不可能にさせようと計画。警視庁など中央官庁のある霞が関を走行する地下鉄車内でサリンをまくことを決意した。
 【サリン準備】故村井秀夫元幹部=当時(36)=の指示を受けた中川被告は平成6年2月までに計3回サリンを生成。麻原被告から1月、隠蔽(いんぺい)工作のためサリンを処分するよう指示されたが、処分するのが惜しくなり、サリン直前物質約1.4`を自分の判断で保管した。
 中川被告は3月18日、村井元幹部からサリンの生成を指示され、同物質を「厚生省大臣」遠藤誠一被告(35)の実験棟に運び、「化学班」責任者土谷正実被告(30)の指導で、遠藤被告が不純物を含んだサリンを生成した。
 遠藤被告は翌日、麻原被告に「できました。ただし、混合物です」などと報告。麻原被告は「いいよ。それで」と混合液のまま犯行に使用することを了承し、中川被告は約600cのサリンを入れたナイロン袋11袋を製造した。
 【謀議】村井元幹部は地下鉄車内でサリンをまく実行者に「治療省大臣」林郁夫被告(48)ら5人を選定。現場指揮者に事実上の「諜報(ちょうほう)省大臣」井上嘉浩被告(25)を選んだ。
 同元幹部は3月18日、「第6サティアン」の自室で林被告らに計画を打ち明け「警視庁に近い出口はどこだろう。どうせやるんだったら、警視庁に近い方がいい」と提案。東京都内の地下鉄3線で20日午前8時のラッシュ時、一斉にサリンをまくよう指示した。
 3月19日、井上被告や「科学技術省」所属の林泰男容疑者(37)=特別手配中=ら11人は東京都渋谷区の「アジト」に集合。実行者が担当する地下鉄の路線などを決定し、車で担当の地下鉄駅などを下見した。
 【実行】林被告ら実行者と運転者は20日早朝、2人1組で犯行を遂行。実行者が千代田、丸ノ内、日比谷の3路線5電車内に乗り込み、サリン入りナイロン袋を傘で突き刺すなどし、合計5.05リットルのサリン混合液を流出させた。乗客ら11人が死亡、約3800人が重軽症を負った。
・地下鉄サリン事件 目黒公証役場事務長監禁致死事件で警視庁など捜査当局がオウム真理教関連施設の強制捜査に着手しようとしていた直前の3月20日朝、警視庁、警察庁の並ぶ霞ケ関駅など東京都心の駅を走る営団地下鉄日比谷、丸ノ内、千代田の3路線5電車で、猛毒ガス「サリン」が発生。
 通勤時間帯で、起訴状によると乗客や駅職員ら11人が死亡、3796人が重軽症となった。
 同事件では、教団教祖の麻原彰晃被告や実行部隊を指揮したとされる井上嘉浩被告、実行犯とされる林郁夫被告らが殺人、殺人未遂罪で起訴され、同容疑で林泰男容疑者らが警視庁から特別手配されている。
事件容認意外だった
 初公判を傍聴したノンフィクション作家佐木隆三さんの話 もっと多くの部分を否認すると思っていたが、外形的事実をほとんど認めたのは意外だった。麻原被告の公判でも同じような展開になるのか興味深いところだ。中川被告は地下鉄サリン事件の被害状況が朗読されているときはうつむいてこぶしを固めていたが、法廷の去り際には傍聴席を見渡してニヤリと笑うなど、表情が非常に豊かだったのが印象的だった。(京都新聞)
■地下鉄サリン事件 中川被告初公判 検察側冒頭陳述の全文
村井元幹部から指示 傘先で突き刺す 次々と乗客倒れた 通勤の朝暗転 死者11人 けが3796人
 24日、東京地裁で開かれたオウム真理教の中川智正被告に対する地下鉄サリン事件初公判の検察側冒頭陳述全文は次の通り。(敬称略。用字、用語は原文通り)
・第一 被告人の身上・経歴等
 被告人は、昭和三七年一○月二五日出生し、同五七年三月に岡山の県立高校を卒業後、京都府立医科大学医学部医学科に入学し、同六三年三月に同大学を卒業した。
 被告人は、右大学在学中の同六三年二月ころ、オウム真理教(以下、「教団」という。教団は、平成元年八月二九日に宗教法人となっている。)の出版物を読んで教団の教義等に興味を抱き、教団大阪支部で入信手続をとって在家信者となり、その後、昭和六三年四月に医師国家試験に合格し、大阪市内の病院に消化器内科の研修医として勤務したが、教団に出家するため、平成元年六月ころ、同病院を退職し、同年八月三一日、出家信者となった。
 その後、被告人は、同二年七月ころ、東京都中野区野方五丁目三〇番一三号所在のオウム真理教附属医院(以下、「附属医院」という。)が開設されたので、同医院の医師となったものの、同医院での診療行為は行わず、教団の代表者である麻原彰晃こと松本智津夫(以下、「松本」という。)の主治医として同人の健康管理をするほか、同人の指示による特別な活動を行い、同五年一〇月ころからは、教団幹部の土谷正実(以下、「土谷」という。)と共に化学兵器であるサリンの製造等に従事した。そして、同六年六月、教団に省庁制度が採用された際、被告人は、教団の法皇内庁の責任者である同庁大臣となり、その後も松本の側近として活動し、現在に至っている。
・第二 落田耕太郎に対するリンチ殺人事件について =省略
・第三 地下鉄サリン殺人事件について
 一 犯行に至る経緯等
 1 犯行の動機
 松本は、村井秀夫らに指示し、平成六年六月二七日、長野県松本市内で、サリンを霧状に噴出させる方法で住民多数を殺傷させたいわゆる松本サリン事件を起こしたが、同七年一月一日、同日付けの読売新聞に、「山梨県の上九一色村で、昨年七月悪臭騒ぎがあり、臭いの発生源とみられる一帯の土壌等を鑑定した結果、サリンを生成した際の残留物質である有機リン系化合物が検出され、この化合物は、松本サリン事件の際にも、現場から検出されていたことから、警察では、サリン生成に使う薬品の購入ルートを中心に、捜査を急いでいる」旨の記事が掲載されていることを聞知し、同事件が教団により起こされた事件であることの発覚を恐れ、教団施設に対する警察の捜索に備えて、教団がサリンを生成していたという証拠を残さないようにするため、そのころ、村井を介して、同事件後も残存サリンを保管していた土谷に指示し、山梨県西八代郡上九一色村富士ケ嶺九二五番地の二所在のクシティガルバ棟と称する教団施設(以下、「クシティガルバ棟」という。)で、残存サリン全部を処分させた。
 その後、松本は、井上嘉浩らに指示して、同年二月二八日、目黒公証役場事務長仮谷清志を拉致して監禁し、死亡させる事件を起こしたが、同事件は、犯行直後、警察に発覚して警視庁大崎警察署の捜査が始まり、同年三月四日以降各新聞紙上に、「犯人は新興宗教の者である」とか、「右仮谷と教団関係者と関係」とか、「容疑者の使用したレンタカーが判明して同車が警察に押収された」などの記事が掲載され、その後、新聞、週刊誌等で同事件に教団が絡んでいるかのような報道が大々的になされ、一部週刊誌には、同年四月上旬にも教団に対する警察の強制捜査が行われる旨の記事が掲載されるに至った。
 かかる状況から、松本は、近く、警察の教団に対する大規模な強制捜査が実施されるという危機感を抱き、警察組織に打撃を与えるとともに、首都中心部を大混乱に陥れるような事件を敢行することにより右強制捜査の実施を事実上不可能にさせようと考え、松本サリン事件でその効果を実験済みであったサリンを警視庁等の所在する霞ケ関駅を走行する地下鉄列車内で撒き、多数の乗客らを殺害することを決意した。
 なお、サリンは、人の神経の信号伝達機構を破壊して死に至らせる神経剤であり、その性状は、常温で無色無臭の液体であるが、揮発性があり、その毒性は、無防備の人が一立方メートルあたり一〇〇ミリグラムの濃度のサリンが存在する大気中に一分間さらされるとその半数が死亡すると言われているもので、殺傷力が極めて高い毒物である。
 2 松本らの共謀状況等 松本は、前記のとおり、平成七年一月ころ、当時教団に残っていたサリン全部を土谷らに処分させていたため、本件犯行に使用するサリンを新たに生成させなければならないと考え、同年三月中旬ころ、教団幹部の会合から帰途の車中で、遠藤誠一(以下、「遠藤」という。)に、新たにサリンを生成することが可能であることを確かめた上、そのころ、村井に対し、本件犯行計画を具体化して実行するよう命じ、また、遠藤に対し、本件犯行計画に使用するサリンを生成するよう命じ、村井及び遠藤は、いずれも松本の右命令を了解した。
 3 被告人らによる本件サリン生成等
 (一)サリン生成における被告人、土谷の関与等
 被告人は、村井の指示を受け、土谷らと共に、平成五年二月ころから同六年二月ころまでの間、三回にわたり、サリンを生成したことがあり、同七年一月には、土谷が残存サリンを処分するのを手伝ったが、その際、中間生成物であるメチルホスホン酸ジフロライド(以下、「ジフロ」という。)約一・四キログラムが残存していることを知り、ジフロがあればサリンを早く生成することができることから、これを処分するのが惜しくなり、自己の判断でこれを処分せず、第六サティアン付近の敷地内に隠して保管した。被告人は、村井にそのことを告げていたところ、同年三月一八日ころ、第六サティアンの自室において、村井から、被告人が保管しているジフロを遠藤のところに持って行き、それを使って同人と共に早急にサリンを生成するよう指示された。
 その際、被告人は、村井から「地下鉄でサリンを使うんだ。」などと言われ、松本らが東京都内の地下鉄の列車内でサリンを撒いて多数の乗客等を殺害する大量役人を計画していて、その犯行に使用するサリンの生成を指示されたことを知った。被告人は、前記松本サリン事件では、サリン生成とともに現場での実行犯の役割もしていたことから、今回もサリン生成だけではなく、地下鉄内で実際にサリンを撒く実行犯にも指名されるのではないかと考え、その場合には、自らも実行犯に加わる意思の下に、サリン生成を承諾し、自己が保管していたジフロを前記上九一色村富士ケ領九二五番地の一所在のジーヴァカ棟と称する教団施設(以下、「ジーヴァカ棟」という。)へ持って行き、遠藤に渡した。
 そして、被告人は、遠藤が、土谷から、ヘキサンを溶媒とし、N、N−ジエチルアニリン(以下、「ジエチルアニリン」という。)を反応促進剤として用い、ジフロとイソプロピルアルコールを反応させる方法でのサリン生成方法の教示を受けたので、同月一九日、ジーヴァカ棟において、遠藤と共に、ジフロからサリンを生成することとし、三ツ口フラスコ、オイルバス等の必要な器具を準備してこれを同棟内の実験室に設置した上、サリン生成に用いるヘキサン、ジエチルアニリン、イソプロピルアルコール等の薬品を土谷に用意してもらい、これらをクシティガルバ棟からジーヴァカ棟へ運び込んだ。
 そして、被告人は、遠藤と共に、ドラフトと称する強制排気装置を設置したジーヴァカ棟内の実験室において、サリン中毒にならないよう、頭からビニール袋をかぶり、その中に酸素ボンベの酸素を引き込んで、これを吸いながら、土谷の指導の下、同人が本件サリン生成に必要な各物質の数量を計算し、その内容を記載したメモに基づき、三ツ口フラスコ内にヘキサン、ジエチルアニリン及びジフロを入れ、反応させる温度を調節するとともに、田下聖児に手伝わせてイソプロピルアルコールをそれに滴下するなどして、同日夜、約三〇パーセントのサリンを含有する六ないし七リットルのサリンの混合液を生成した。同液体は、ヘキサン、ジエチルアニリンを含み、透明な部分と薄茶色の部分の二層に分かれていたが、土谷が遠藤の依頼で分析したところ、いずれの層にも生成されたサリンが含まれていることが確認された。
 (二)松本に対するサリン生成結果の報告と松本の指示
 遠藤は、生成した液体にサリンのほかヘキサン、ジエチルアニリンの不純物が含まれていたことから、そこからサリンだけを分留しようと考え、土谷に対し、これに要する時間を尋ねたところ、半日から一日は必要であると言われたため、その日のうちに分留することは不可能であると判断し、松本の指示を仰ぐこととした。遠藤は、第六サティアンの松本の部屋へ行き、同人に対し、「できました。ただし、まだ純粋な形になっておらず、混合物です。」と言って、生成したサリンが混合液の状態である旨報告するとともに同人の指示を仰いだところ、同人は、遠藤に対し、「いいよ、それで。」と言って、同サリンを分留せず、混合液の状態のままで本件犯行に使用することを了承した。
 (三)サリン注入とその引渡等
 その後、被告人は、前記上九一色村富士ケ嶺九二五番地の二所在の第七サティアンと称する教団施設(以下、「第七サティアン」という。)において、村井から、かねて教団が特注により業者から購入していた横約五〇センチメートル、縦約七〇センチメートルの大きさのナイロン・ポリエチレン袋(以下、「ナイロン袋」という。)を渡され、これにサリンを入れるよう指示された。
 そこで、被告人は、これを受け取ってジーヴァカ棟に運び、遠藤に対し、村井の右指示を伝え、同所において、遠藤と共に、これをサリンの袋詰め用に使うため、約二〇センチメートル四方の大きさに切り取った上、シーラーと称する圧着機を用い、開放している部分を圧着して袋を作り、さらに、一方の角の部分を一部切り取って注入口を開け、そこから給油ポンプを用いて、サリンの混合液約六〇〇グラムずつを入れ、その後、その注入口の部分をシーラーで密封してサリンの入った袋一一袋を作り、さらに、運搬途中で、袋が破損したりして中のサリンが漏出しないようにするため、これらを約二五センチメートル四方の大きさに切り取って作ったナイロン袋に入れて二重袋にした。これらのサリンが入ったナイロン袋一一袋は、遠藤が段ボール箱に入れて第七サティアンへ持参し、村井に渡した。さらに、その後、遠藤は、村井の指示を受けて、サリンを入れたものと同じナイロン袋に水を入れたもの約五袋を作り、これを第七サティアンの村井のもとに届けた。
 被告人は、これらのナイロン袋を届けてジーヴァカ棟に戻った遠藤から、サリン中毒の予防薬を五錠用意して欲しいと頼まれたことから、教団所属の者五名が被告人らが生成したサリンを地下鉄に撒きに行くことを察知するとともに、被告人自身は今回は実行犯に指名されなかったことを知った。被告人は、所持していたメスチノン錠剤五錠を遠藤に渡し、同人は、これを第七サティアンへ持って行った。
 4 村井の部屋における犯行の謀議等
 一方、村井は、前記犯行計画を実行する者を、松本の了承を得て教団幹部の中から選定することにし、地下鉄内で実際にサリンを撒く実行者(以下、「実行者」という。)として、科学技術省次官の林泰男、同廣瀬健一(以下、「廣瀬」という。)、同横山真人(以下、「横山」という。)、同豊田亨(以下、「豊田」という。)及び治療省大臣の林郁夫の五名を選定し、実行者の本件犯行を確実ならしめるため、的確な情報の提供、犯行に使用する自動車の調達及び村井からの具体的指示の伝達などを行う、犯行の現場指揮者兼実行補助者として井上を選定した。
 そこで、村井は、平成七年三月一八日早朝ころ、第六サティアン三階の自室において、井上に対し、地下鉄内でサリンを撒くという本件犯行計画を打ち明け、実行者らを支援して右犯行を成功させるよう指示し、また、そのころ、同室において、林泰男、廣瀬、横山、豊田及び林郁夫の五名に対し、警察の強制捜査の目先を変えるために、同月二〇日の朝、東京都内の地下鉄の列車内にサリンを撒くことを指示し、林泰男らは、いずれもその実行意志を明らかにした。
 村井、林泰男、広瀬、横山及び井上は、同月一八日午後三時ころ、村井の前記自室に集まり、同室において、地下鉄の路線図等を見ながら、サリンを撒く地下鉄の路線及び駅はどこが適当かを検討した。そして、村井は、林泰男らに対し、「警視庁に近い出口はどこだろう。どうせやるんだったら、警視庁に近い方がいい。」などと言い、警視庁に近い場所にある地下鉄霞ケ関駅を走行する帝都高速度交通営団日比谷線(以下、「地下鉄日比谷線」という。)、同営団丸の内線(以下、「地下鉄丸の内線」という。)及び同営団千代田緯(以下、「地下鉄千代田線」という。)の三つの路繰にサリンを撒くことを指示するとともに、乗客が多いラッシュ時に実行するということで、同月二〇日の午前八時に各路線で一斉にサリンを撒くことを指示した。
 その後、村井は、各実行者を犯行現場まで自動車で送迎するなどの支援をする者(以下、「運転者」という。)として、自治省大臣の新實智光、同省次官の杉本繁郎、同北村活一、同外崎清隆(以下、「外崎」という。)及び井上が大臣をしているCHS(「諜報省」の前身)所属の高橋克也(以下、「高橋」という。)の五名を選定した上、実行者と運転者の組み合わせも決め、井上にそれを伝えるとともに、自ら若しくは井上らを介して、実行者及び運転者らに東京に行くよう指示した。
 5 渋谷アジトでの謀議と犯行現場の下見等
 (一)渋谷アジトでの謀議 井上、林泰男、廣瀬、横山、豊田、林郁夫、新實、北村、外崎、杉本及び高橋の一一名は、本件犯行計画を実行するため、平成七年三月一九日午後九時ころまでに、東京都渋谷区宇田川町二丁目二六番渋谷ホームズ四〇九号室(以下、「渋谷アジト」という。)に集合した上、井上主導の下で、それぞれの実行者が担当する地下鉄の路線を決めるとともに、井上は、林泰男らに対し、村井が決めた実行者と運転者の組み合わせを伝え、さらに、犯行の実行に当たっての細かい注意事項を指示した。
 すなわち、地下鉄日比谷線の中目黒方面行の路線は、林泰男と杉本が、地下鉄日比谷線の北千住方面行の路線は、豊田と高橋が、地下鉄丸の内線の荻窪方面行の路線は、廣瀬と北村が、地下鉄千代田線の代々木上原方面行の路線は、林郁夫と新實が、地下鉄丸の内線の池袋方面行の路線は、横山と外崎が担当すること、サリンを撒く時刻は同月二〇日午前八時とすること、サリンは降車の直前に撒くこと、当日は午前六時ころには、渋谷アジトを出発すること、実行者の降車駅は、林泰男が秋葉原駅、豊田が恵比寿駅、廣瀬が御茶ノ水駅、林郁夫が新御茶ノ水駅、横山が四谷駅であることなどを確認させた。
 (二)犯行現場の下見及び犯行車両の調達
 実行者及び運転者らは、同月一九日午後一〇時ころ、普通乗用自動車数台に分乗して渋谷アジトを出発し、それぞれが担当する地下鉄の路線の犯行場所である降車駅に行き、実際に地下鉄の列車に乗車するなどして犯行現場の下見をし、また、犯行直後の降車駅付近の待機場所を決めたりした後、渋谷アジトに戻った。
 井上は、本件犯行の際に必要な自動車五台を在家信者らに依頼して調達し、高橋らに指示するなどして渋谷アジト付近まで運ばせ、準備を整えた。
 6 犯行方法の予行演習とサリンの交付
 村井は、平成七年三月二〇日午前一時三〇分ころ、実行者らのいた渋谷アジトに電話し、林泰男に対し、サリンの用意ができ、それを渡すので第七サティアンまで受け取りに来るように、また、その際、サリンの具体的な撒き方を教示するので、実行者全員が一度戻ってくるよう指示した。
 林泰男は、直ちに、豊田ら実行者四名に対し、村井の右指示を伝えるとともに、杉本、外崎に運転を頼み、普通乗用自動車二台に分乗して渋谷アジトを出発し、同日午前三時ころ、第七サティアンに到着し、杉本及び外崎を車内に残し、林泰男ら実行者五名は、第七サティアンの中に入った。
 村井は、遠藤から、前記サリン入りナイロン袋一一袋を受け取った後、林泰男らより一足先に第七サティアンに戻ってきていた井上に対し、サリン入りナイロン袋を突き破るのに使用するため、先が金属製になっている傘を購入してくるよう指示した。そこで、井上は、同日午前二時三〇分ころ、静岡県富士宮市内のセブンイレブンにおいて、ビニール傘七本を購入して第七サティアンに戻り、それを村井に渡すと、同人は、科学技術省次官の滝澤和義に指示して、傘の先端部の金具部分をグラインダーで削らせて、先を尖らせた。
 村井は、同日午前三時ころ、第七サティアン一階において、井上の立ち合いの下で、戻ってきた林泰男ら五名の実行者に対し、傘の先でサリン入リナイロン袋を突き破ってサリンを袋内から漏出・気化させる方法を採るが、ナイロン袋が二重袋になっているので、地下鉄の列車内にこれを持ち込む際には、事前に、突き破り易いように外側のナイロン袋を取り除いておくこと、サリン入リナイロン袋を傘の先で突く際には、予めそれを列車内の床に置いておき、外側から傘の先でそれを数回突き刺してサリンがナイロン袋内から漏出し易いようにしてから、直ぐに列車内から降りて逃走することなど地下鉄列車内にサリンを撒く具体的方法及びその際の注意事項等を指示した。
 そこに、遠藤が、村井の指示で作った水が入ったナイロン袋五袋を持ってきたので、村井は、林泰男ら実行者に指示して、その袋を傘の先で突き刺し、犯行の予行演習をさせたが、その際、他の乗客に不審がられないようにするため、犯行時はナイロン袋を新聞紙で包んだほうがよいという意見が出た。
 その後、本件犯行に使用するサリンの入った袋が一一袋あったことから、林泰男の申出により、同人が三袋のサリンを撒き、他の四人が二袋ずつサリンを撒くことに決まり、林泰男ら実行者が、村井から、サリン入りナイロン袋二袋及びビニール傘約五本を受け取り、サリン入リナイロン袋一一袋については、豊田のショルダーバック内にしまった。
 また、村井は、遠藤に指示して持ってこさせたサリン中毒の予防薬であるメスチノン錠剤各一錠を、同人に指示して林泰男ら実行者に配布させ、その際、速藤において、林泰男ら実行者に対し、それを犯行の二時間前に服用するよう指示した。
 その後、林泰男らは、普通乗用自動車二台に分乗して第七サティアンを出発し、同日午前五時過ぎころ、渋谷アジトに戻った。
 7 犯行直前の準備 渋谷アジトに戻った林泰男らは、豊田が運んできた一一袋のサリンの入ったナイロン袋を、第七サティアンで決まった割合で、それぞれ実行者に分配し、さらに犯行に使用するビニール傘も一本ずつ分け、また、先に遠藤から渡されたサリン中毒の予防薬を服用した。
 林郁夫は、他の実行者らに対し、サリンの被害をこうむった場合に注射するようにと、サリン中毒の治療薬の硫酸アトロビン二アンプル分(二ミリリットル)を吸入した注射器を一本ずつ渡した。
 このように準備をした後、林泰男ら実行者と運転者は、本件犯行を実行するため、同日午前六時前後ころ、それぞれ、サリン入リナイロン袋及びビニール傘等を携帯し、普通乗用自動車に乗って、渋谷アジトを出発した。
 二 犯行状況
 1 地下鉄日比谷線北千住発中目黒行列車関係
 林泰男は、平成七年三月二〇日午前六時ころ、杉本運転の普通乗用自動車に乗車して地下鉄日比谷線上野駅に向かい、途中、同人に同日付けの読売新聞、ハサミ等を購入してもらい、同車内において、サリンの入ったナイロン袋三袋のうち、内袋からサリンが漏れていないものについては、外袋をハサミで切って取り除いた上、サリンの入った袋三袋を重ね、それを読売新聞の新聞紙で包むなどした。
 林泰男は、同日午前七時ころ、地下鉄日比谷線上野駅出入口付近で杉本運転の右自動車から降り、サリン入りナイロン袋三袋を入れた新聞包み及びビニール傘等を携帯して同駅に入った。その後、林泰男は、北千住駅午前七時四六分発八両編成の中目黒行A 七二〇S列車に乗車し、同日午前八時ころ、秋葉原駅に到着するまでの間に、同列車の第三車両の床に、サリン入リナイロン袋三袋を入れた新聞包みを置いた上、それを所携のビニール傘の先で多数回突き刺して、同袋内からサリンを漏出させて同車両内にサリンを撒き、本件犯行を実行し、同駅で同列車から降りた。
 2 地下鉄日比谷線中目黒発東武動物公園行列車関係
 豊田は、同日午前六時三〇分ころ、高橋運転の普通乗用自動車に乗車して地下鉄日比谷線中目黒駅に向かい、途中、報知新聞を購入した上、同車内で、サリン入りナイロン袋二袋の外袋をハサミで切って取り除き、内袋を取り出してこれを重ね、それを報知新聞の新開紙で包んだ。
 豊田は、同日午前七時ころ、地下鉄日比谷線中目黒駅前で高橋運転の右自動車から降り、サリン入リナイロン袋二袋を入れた新聞包み及びビニール傘等を携帯して同駅周辺で時間潰しをした後、同駅に入り、中目黒駅午前七時五九分発八両編成の東武動物公園行B 七一一T列車の第一車両に乗車した。そして、第一車両のドア付近の座席に座り、同列車が同駅を発車すると、間もなく、サリン入りナイロン袋二袋を入れた新聞包みを自己の足下に置いて本件犯行を用意し、同日午前八時一分ころ、同列車が恵比寿駅に入ってから同駅に停車する直前に、これを所携のビニール傘の先で数回突き刺して、同袋内からサリンを漏出させて同車両内にサリンを撒き、本件犯行を実行し、直ちに同駅で降車した。
 3 地下鉄丸の内線池袋発荻窪行列車関係
 廣瀬は、同日午前六時ころ、北村運転の普通乗用自動車に乗車して渋谷アジトを出発し、東日本旅客鉄道株式会社(以下、「JR」という。)四谷駅前で同車を降り、同駅から中央線、埼京線を乗り継いで、同日午前七時過ぎころ、JR池袋駅に到着し、同駅付近で時間潰しをした後、同駅構内の男性用トイレで、ショルダーバック内からサリン入リナイロン袋二袋を取り出し、外袋をカッターナイフで破って取り外し、スポーツ新聞の新聞紙でそれを包んでショルダーバック内にしまった。
 廣瀬は、同日午前七時四〇分ころ、地下鉄丸の内線池袋駅に入り、同駅午前七時四七分発六両編成の荻窪行A 七七七列車の第二車両に乗車し、その後、同列車が茗荷谷駅又は後楽園駅で停車した際に、新二車両から第三車両に乗り移った。そして、廣瀬は、混雑している第三車両内で出入口ドアに向かって立ち、ショルダーバック内からサリン入りナイロン袋二袋を入れた新聞包みを取り出そうとした際、新聞紙が外れてしまったため、サリン入りのナイロン袋二袋のみを足下に落下させ、それを近くの座席の方向に移動させ、同日午前七時五九分ころ、同列車が御茶ノ水駅に到着し、同列車の出入口ドアが開き始めた瞬間に、床上にあるそのナイロン袋を数回ずつ所携のビニール傘の先で突き刺して、同袋内からサリンを漏出させて車両内にサリンを撒き、本件犯行を実行し、直ちに同列車から降りた。
 4 地下鉄千代田線我孫子発代々木上原行列車関係
 林郁夫は、同日午前六時少し前ころ、新實運転の普通乗用自動車に乗車して出発し、途中、同人に赤旗新聞等を入手してもらい、同車内で、サリン入りのナイロン袋二袋の外袋をカッターナイフで破って取り外した上、赤旗の新聞紙でそれを包んだ。
 林郁夫は、その後、地下鉄千代田線千駄木駅前で、新實運転の右自動車から降りて同駅に入り、同線を使って綾瀬駅や北千住駅へ行って時間潰し等をした後、同駅から、我孫子駅始発で北千住駅午前七時四八分発一〇両編成の代々木上原行A 七二五K列車の第一車両に乗車した。そして、同列車が新御茶ノ水駅に近づき、減速を始めた時、サリン入リナイロン袋二袋を入れた新聞包みを自分の足下の床上に落下させて置き、所携のビニール傘の先で、その新聞包みを数回突き刺し、間袋内からサリンを漏出させて同車両内にサリンを撒き、本件犯行を実行したが、穴が開いたナイロン袋は、一袋であった。林郁夫は、犯行後、直ちに同駅で降車した。
 5 地下鉄丸の内線荻窪発池袋行列車関係
 横山は、同日午前六時ころ、外崎運転の普通乗用自動車に乗って出発し、乗車駅である地下鉄丸の内線新宿駅に向かい、途中、同人に日本経済新聞を入手してもらい、同車内で、サリン入リナイロン袋二袋の外袋をハサミで切り取って外し、そのナイロン袋二袋を新聞紙で包んだ。
 横山は、同日午前七時ころ、JR新宿駅西口付近で、外崎運転の右自動車から降り、時間潰しなどをした後、地下鉄丸の内線新宿駅に入り、萩窪駅午前七時三九分発六両編成の池袋行B 七〇一列車の第五車両に乗車した。そして、同列車が四谷三丁目駅を発車した後、サリン入リナイロン袋二袋が入った新聞包みを自己の足下付近の床上に落下させて置き、同列車が四谷駅に進入するため減速を始めたので、同日午前八時一分ころ、両手で持った所携のビニール傘の先で、その新聞包みを真上から数回突き刺して、同袋内からサリンを漏出させて同車両内にサリンを撒き、本件犯行を実行し、同駅で降車したが、穴が開いたナイロン袋は一袋であった。
 三 各列車内及び停車駅におけるサリンの漏出・気化並びに同列車内の運行状況等
 1 地下鉄日比谷線北千住発中目黒行列車関係
 林泰男によって新聞紙(読売新聞)に包まれたサリン入リナイロン袋三袋が置かれた中目黒行A七二〇S列車は、平成七年三月二〇日午前八時ころ、地下鉄日比谷線秋葉原駅を発車し、同日午前八時二分ころ、小伝馬町駅に到着した。その間、穴の開いたそれらのナイロン袋内からサリンが漏出し、それが第三車両内の床に流れ出して床面に広がるとともに、サリンが気化して同車両内に広がって刺激臭を発したため、小伝馬町駅到着後、同車両の男性の乗客が、同車両内からサリン入リナイロン袋三袋が入った新聞紙の包みを同駅一番線ホーム上に蹴り出し、それを同ホーム上の支柱付近に寄せたが、同列車が同駅に少し停車している間に、サリン中毒により、同支柱付近の同ホーム上に乗客男女各一名が倒れた。
 漏出して流れ出したサリンが床に付着し、かつ、気化したサリンが第三車両内に漂っている同列車は、同日午前八時三分ころ、小伝馬町駅を発車した後、人形町駅、茅場町駅、八丁掘駅に各停車したが、茅場町駅では、サリン中毒により、男性に掴まりながら全身を痙攣させている女性が第三車両付近のホーム上にいたので、駅員が救急車を要請し、さらに、男性客一名、女性客二名がホームのベンチにうずくまっていたので、駅員らがそれらの者を駅事務室に保護したりした。
 その後、同列車が八丁掘駅を発車してから、間もなく、第三車両内の非常通報ブザーが鳴動したため、同日午前八時一〇分ころ、同列車が築地駅で停車し、出入口ドアを開放したところ、開放と同時に乗客が一斉に一番線ホーム上に飛び出し、サリン中毒により、そのうちホーム上に五名、同車内に三名の乗客が倒れ、さらに体の不調を訴える者が続出した。
 そこで、各救急隊に救急車を要請するとともに、築地駅で同列車の乗客全員を降車させ、同列車の運転を中止した。その後、同日午前八時一四分には、運輸指令所長が、日比谷線全線一斉発車待ちを指示し、同日午前八時四一分には、小伝馬町駅及び築地駅では、旅客及び駅員等全員が駅構内から退去するように運輸指令所長の指令が発せられた。
 この間、三袋のナイロン袋内のサリン全部(混合液で約一、八〇〇ミリリットル)が、第三車両内及び小伝馬町駅一番線ホーム上支柱付近に流れ出るとともに気化し、さらに、気化したサリンが前記各停車駅構内にも漂うなどした。
 2 地下鉄日比番線中目黒発東武動物公園行列車関係
 豊田によって新聞紙(報知新聞)に包まれたサリン入りナイロン袋二袋が置かれた東武動物公園行B七一一T列車は、同日午前八時二分ころ、地下鉄日比谷線恵比寿駅を発車し、広尾駅、六本木駅に各停車したが、その間、穴の開いたそれらのナイロン袋内からサリンが漏出し、それが第一車両内の床に流れ出して床面に広がるとともに、サリンが気化して同車両内に広がり、恵比寿駅発車直後には、サリンの影響で、咳き込む乗客が出てきた。
 その後、同列車は、同日午前八時二分ころ、神谷町駅に到着したが、同駅到着後、サリン中毒により、第一車両内に数名が倒れており、乗客五、六名が同駅のホーム上に座り込んだので、各救急隊に救急車の要請をするとともに、同車両の旅客を他の車両に移動させたが、それでも、次々と体の異常を訴える乗客が多数出た。
 その後、同列車は、神谷町駅を約七分遅れて、同日午前八時一八分ころ、発車し、同日午前八時二〇分ころ、霞ヶ関駅に到着した後、乗客全員を同列車から降車させ、その運転を中止した。
 そのころまでに、二袋のナイロン袋内のサリン全部(混合液で約一、二〇〇ミリリットル)が、第一車両内に流れ出るとともに気化し、気化したサリンが前記各停車駅構内にも漂うなどした。
 3 地下鉄丸の内線池袋高荻窪行列車関係
 廣瀬によってサリン入りナイロン袋二袋が置かれた荻窪行A七七七列車(折り返し後、池袋行B八七七列車)は、同日午前七時五九分ころ、地下鉄丸の内線御茶ノ水駅を出発し、淡路町駅、大手町駅、東京駅、銀座駅、新宿駅等の各駅で停車後、同日午前八時二五分ころ、中野坂上駅に到着し、運転手の引継のため、同駅七約五分間停車した。
 その間、穴の開いたそれらのナイロン袋内からサリうが漏出し、それが第三車両内の床に流れ出して床面に広がるとともに、サリンが気化して同車両内に広がり、同列車が淡路町駅を発車したころから刺激臭を発するようになった。
 同列車が中野坂上駅に停車した際、同駅駅員が、第三車両内の床に倒れていた男性の乗客一名及び同車両内の座席にぐったりし口から泡を出すなどして今にも座席から崩れ落ちそうな女性の乗客一名を発見し、各救急隊に救急車を要請するなどして救護措置を取った。
 また、同駅の長山静助役は、同列車の第三車両内の床の上に置かれていた右ナイロン袋二袋を発見し、一つには、中身が入っておらず、他の一つには、サリンの混合液が半分程度入っているのを確認した。そして、右ナイロン袋内からサリンが流れ出ていたことから、これらのナイロン袋を付近にあった新聞紙で包んでこれを同車両内からホーム上に運び出し、次いで、同駅の島村光明助役が、それをビニール袋に入れて同駅事務室に運び込み、その後、中野警察署の警察官にそれを提出した。
 その後、同列車は、同日午前八時三〇分ころ、中野坂上駅を発車し、南阿佐ヶ谷駅等を経て、同日午前八時四〇分ころ、荻窪駅に到着し、同駅では、駅員が、第三車両車内の床の上に流れ出して床面に付着していたサリンをモップで拭いて同車両内の掃除を行った。
 その後、同列車は、同日午前八時四三分ころ、荻窪駅から折り返し、南阿佐ヶ谷駅を経て、同日午前八時四七分ころ、新高円寺駅に到着したが、同駅では乗客全員を降車させた上、運転を中止した。
 そのころまでに二袋のナイロン袋内のサリンの一部(混合液で約九〇〇ミリリットル)が、第三車両内に流れ出るとともに気化し気化したサリンが前記各停車駅構内にも漂うなどした。
 4 地下鉄千代田線我孫子発代々木上原行列車関係
 林郁夫によって新聞紙(赤旗新聞)に包まれたサリン入リナイロン袋二袋が置かれた代々木上原行A七二五K列車は、同日午前八時四分ころ、地下鉄千代田線新御茶ノ水駅を発車し、大手町駅、二重橋前駅、日比谷駅に各停車した後、同日午前八時二一分ころ、霞ヶ関駅に到着したが、その間、新御茶ノ水駅では、第一車両内の床に置かれたサリン入リナイロン袋が入った新聞紙の包みが、乗降の際に、乗客に踏まれ、穴の開いたナイロン袋内からサリンが同車両の床に流出し、それが気化したため、日比谷駅近くになってから、サリンの影響により咳き込む乗客が出てきた。
 霞ヶ関駅では、異物があるという乗客の通報により、同駅の高橋一正助役が、第一車両内から、サリン入リナイロン袋が入った新聞紙の包みを白手袋着用の両手で持って、それをホーム上に運び出して置き、さらに、同人は不要の新聞紙を使って、サリンが流れて付着している同車両の床を拭いた後、同人、菱沼恒夫助役、豊田利明助役の三名が、それらをビニール袋に入れ、その後、同人らが、それらを同駅事務室に運んだ。
 新聞紙に包まれたサリン入りナイロン袋二袋のうち、一つは、穴が開いておらず、その中には約六一五ミリリットルのサリン混合液がそのままの状態で残っていたが、他の一つは、サリン全部が、ナイロン袋内から漏出して第一車両内の床に流れ出すとともに、気化した。
 その後、同列車は、約二分遅れて、同日午前八時一四分ころ、霞ヶ関駅を発車し、同日午前八時一六分ころ、国会議事堂前駅に到着したが、同駅では同列車の乗客全員を降車させて運転を中止し、駅員が、モップを使って第一車両の床を拭いて清掃した。
 その間、一袋のナイロン袋内のサリン全部(混合液で約六〇〇ミリリットル)が、第一車両内に流れ出るとともに気化し、気化したサリンが前記各停車駅構内にも漂うなどした。
 5 地下鉄丸の内線荻窪発池袋行列車関係
 横山によって新聞紙(日本経済新聞)に包まれたサリン入りナイロン袋二袋が置かれた池袋行B七〇一列車は、同日午前八時二分ころ、地下鉄丸の内線四谷駅を発車し、赤坂見附駅、霞ヶ関駅、大手町駅等に各停車し、同日午前八時三〇分、池袋駅に到着した。その間、同列車が四谷駅を発車してから間もなく、穴の開いた一つのナイロン袋内からサリンが漏出し、それが第五車両内の床に流れ出して床面に広がるとともに気化して同車両内に広がった。
 その後、同列車は、池袋駅で折り返し運転となり、列車番号が「A八〇一」に変更となって、新宿行の列車として、同日午前八時三二分ころ、池袋駅を発車し、同日午前八時四二分ころ、本郷三丁目駅に到着した。本郷三丁目駅の一つ手前の後楽園駅に同列車が到着した際、乗客から同駅駅員に対し、異臭のある不審物をかたずけるようにとの申し出があり、そのため駅員が、隣の本郷三丁目駅に連絡し、同駅において、鈴木良正助役が、第五車両(折り返し後は、第二車両となった。)内から、箒とちりとりを使って、サリン入リナイロン袋二袋が入った新聞紙の包みを撤去し、その後、駅員が、同車両内のサリンが付著した床面を新聞紙、布切れ及びモップで拭き取った。
 その際、遺留領置したナイロン袋のうち、一袋は、穴が開いておらず、その中には約六三〇ミリリットルのサリンの混合液がそのまま残っており、また、もう一つのナイロン袋の中には、約五〇ミリリットルのサリンの混合液が残留していた。
 同列車は、同日午前八時四四分ころ、本郷三丁目駅を発車し、東京駅、大手町駅を経て、同日午前九時九分、新宿駅に到着し、その後、同列車は、同駅で、折り返し運転となり、列車番号が「B九〇一」に変更となって、池袋行の列車として、同日午前九時二二分ころ、新宿駅を発車し、同日午前九時二七分ころ、国会議事掌前駅に到着した後、同駅で乗客全員を降車させ、運転を中止した。
 その間、一袋のナイロン袋内のサリンの一部(混合液で約五五〇ミリリットル)が、前記車両内に流れ出るとともに気化し、気化したサリンが前記各停車駅構内にも漂うなどした。
 4 被害状況
 本件サリン中毒による地下鉄日比谷線、丸の内線、千代田線の各線における乗客等の被害状況については、その詳細は、公訴事実記載のとおりであるが、前記地下鉄日比谷線中目黒行列車関係では、死亡者七名、受傷者二、四七五名、同線東武動物公園行列車関係では、死亡者一名、受傷者五三二名、前記地下鉄丸の内線荻窪行列車関係では、死亡者一名、受傷者三五八名、同線池袋行列車関係では、受傷者二〇〇名、前記地下鉄千代田線代々木上原行列車関係では、死亡者二名、受傷者二三一名の、合計で死亡者一一名、受傷者三、七九六名という多数の死傷者を生じさせている。なお、本件による死亡者及び重篤者の被害状況については、次のとおりである。
 1 死亡者関係
 被害者岩田孝子(当時三三年)はOA機器販売会社に勤務していた会社員であるが、本件事件当日、通勤のため、地下鉄日比谷線に北千住駅から乗車して茅場町駅まで行く途中で本件被害に遭い、小伝馬町駅ホームで意識不明の状態に陥り、平成七年三月二〇日午前八時五分ころ、同所において、サリン中毒により死亡した。
 和田栄二(当時二九年)は会社員であるが、本件事件当日、通勤のため、地下鉄日比谷線に北千住駅から乗車して霞ヶ関駅まで行く途中で本件被害に遭い、小伝馬町駅ホームで意識不明の状態に陥り、一般車両で東京都中央区兜町八番八号所在の中島クリニックに搬送されたが、同日午前一〇時二分ころ、同病院において、サリン中毒により死亡した。なお、妻は、夫が死亡した翌々日の二二日に長女を出産している。
 田中克明(当時五三年)は塗料会社の部長として勤務していたものであるが、本件事件当日、通勤のため、地下鉄日比谷線に上野駅から乗車して人形町駅まで行く途中で本件被害に遭い、小伝馬町駅から一般車両で同都千代田区神田和泉町一番地所在の三井記念病院に搬送されたが、同年四月一日午後一〇時五二分ころ、同病院において、サリン中毒により死亡した。
 伊藤愛(当時二一年)は会社員であるが、本件事件当日、通勤のため、地下鉄日比谷線に北千住駅から乗車して茅場町駅まで行く途中で本件被害に遭い、小伝馬町駅から一般車両で同郡中央区明石町九番一号所在の聖路加国際病院に搬送されたが、同年四月一六日午後二時一六分ころ、同病院において、サリン中毒により死亡した。
 坂井津那(当時五〇年)は会社員であるが、本件事件当日、通勤のため、地下鉄日比谷線に茅場町駅から乗車して中目黒駅まで行く途中で本件被害に遭い、八丁堀駅から九段救急隊により同都新宿区信濃町三五番地所在の慶應義塾大学病院に搬送されたが、同年三月二〇日午前一〇時二〇分ころ、同病院において、サリン中毒により死亡した。
 小島肇(当時四二年)は建設会社に勤務する会社員であるが、本件事件当日、通勤のため、地下鉄日比谷線に茅場町駅から乗車して六本木駅まで行く途中で本件被害に遭い、築地駅から下谷救急隊により同都渋谷区恵比寿二丁目三四番一〇号所在の東京都立広尾病院に搬送されたが、同月二〇日午前一〇時三〇分ころ、同病院において、サリン中毒により死亡した。
 藤本武男(当時六四年)は会社役員であるが、本件事件当日、通勤のため、地下鉄日比谷線に北千住駅から乗車して神谷町駅まで行く途中で本件被害に遭い、築地駅から赤坂救急隊により同都千代田区神田駿河台一丁目八番地二二所在の駿河台日本大学病院に搬送されたが、同月二二日午前七時一〇分ころ、同病院において、サリン中毒により死亡した。
 渡邊春吉(当時九二年)は本件事件当日、地下鉄日比谷線に恵比寿駅から乗車して八丁堀駅近くにある仕事場に赴く途中で本件被害に遭い、同月二〇日午前八時一〇分ころ、神谷町駅構内において、サリン中毒により死亡した。
 中越辰雄(当時五四年)はゴルフ場経営会社の役員であるが、本件事件当日、通勤のため、地下鉄丸の内線に東京駅から乗車し、京王新線の乗り換え駅である新宿三丁目駅まで行く途中で本件被害に遭い、同駅で降りられない状態になり、中野坂上駅で車両内に倒れているところを発見され、同駅から宮園通救急隊により同都新宿区河田町八番地一号所在の東京女子医科大学病院に搬送されたが、同月二一日午前六時三五分ころ、同病院において、サリン中毒により死亡した。
 高橋一正(当時五〇年)は帝都高速度交通営団職員として地下鉄千代田線の霞ケ関駅に勤務する駅務助役であるが、前記のとおり、同駅で、車両内からサリン入リナイロン袋等を片づけた際に本件被害に遭い、一般車両により同都千代田区内幸町一丁目三番二号所在の浩邦会日比谷病院に搬送されたが、同月二〇日午前九時二三分ころ、同病院において、サリン中毒により死亡した。
 菱沼恒夫(当時五一年)は同営団職員として地下鉄千代田線の霞ヶ関駅に勤務する乗務助役であるが、同駅で、サリン入りのナイロン袋等を片づけた際に本件被害に遭い、一般車両により同都千代田区神田駿河台一丁目八番地一三所在の駿河台日本大学病院に搬送されたが、同月二一日午前四時四六分ころ、同病院において、サリン中毒により死亡した。
 2 重篤者関係(略)(京都新聞)
■「大事なことは尊師が決定」 地下鉄サリン 中川被告初公判 林被告らの供述調書明らかに 背景に最終戦争思想 東京地検
 地下鉄サリン事件の殺人、殺人未遂罪など5事件で起訴されたオウム真理教の事実上の「法皇内庁長官」中川智正被告(32)の初公判は24日午後も東京地裁(池田修裁判長)で続けられた。検察側は証拠調べで「(実行グループに)指名されずほっとした」との中川被告の供述調書や「教団で大事なことは尊師(麻原彰晃被告)が決めていた。サリンをまいた背景には尊師のハルマゲドン(最終戦争)思想があった」との元「治療省大臣」林郁夫被告(48)らの供述調書などを明らかにした。
・証拠の提出 1万件越す
 検察側はこの日午前、冒頭陳述に続き約1万2000件の証拠の採用を申請。弁護側は中川被告の調書のうち「『地下鉄で使う』と故村井秀夫元幹部から聞かされていた」との部分と、落田さんリンチ殺人事件に関する他被告の調書のうち、中川被告が共謀に加わったとする部分の証拠採用には同意しなかった。
 午後は同意された供述調書の要旨を検察側が朗読。この中で林被告は「警察の強制捜査によって、教団が目指した救済計画ができなくなると考えた。村井元幹部から指示された際『断ってもいい』と言われたが、参加しなければ存在価値がなくなると思った」などと述べていた。
 また調書によると、中川被告は「松本サリン事件にも加わったので(実行グループに)指名されると嫌だと思ったが、指名されずほっとした」「オウムの中でしか生きられないので、指示されればやるつもりだった」とし、製造の際は防護服がなかったので頭からビニール袋をかぶり、酸素ボンベを使っていたという。
 「化学班」責任者土谷正実被告(30)は「村井元幹部から化学兵器をつくれと指示され、サリンやVXなどを調べたが、製造工程が短いサリンを選んだ」と供述している。
 次回公判は12月12日で、目黒公証役場事務長仮谷清志さん監禁致死事件が審理入りする。
 これまでの調べで中川被告は、同事件、松本サリン事件、坂本弁護士一家事件とも起訴事実をほぼ認めている。(京都新聞)
■出た350` JR東海「300X」試運転 加速グイッ 揺れ少なく 京都−米原間
 JR東海が開発を進めている次世代新幹線の試験車両「300X」による時速350`の試験運転が23日深夜から24日未明にかけ、報道関係者に公開された。
 300Xは京都駅を23日午後11時45分出発。車内は小ぢんまりした印象で、座席を配置した2号車以外は測定機器でいっぱい。
 出発して10分後、滋賀県近江八幡市付近で「のぞみ」の営業最高速度に当たる時速270`から一気に351.4`まで加速、体が座席に押し付けられ加速のすごさを実感した。350`台走行時の揺れや騒音は予想より少なく、まずまずの乗り心地。約20分後の24日午前零時6分、終点の米原駅に看いた。
 300Xは6両編成(全長約152b)。車体は高速走行による空気抵抗や騒音を低減するため先頭形状をくさび形にしたり、のぞみ型車両(300系)より幅で約30a、高さで35a小さくするなど軽量化を図っている。
 試験運転は東海道新幹線の営業運転終了後、京都−米原間の上り線で実施。営業車両の開発に必要な走行安定性の確認や、振動、騒音の発生状況など各種データの収集が目的で、平成9年1月まで続けられる。(京都新聞)
■私の提言 よみがえれ神戸 レールをつなぐC 夜徹し74日で全線復旧 常石喜計
 大震災発生直後、私は、自家用車で職場に急いでいました。西明石から職場の兵庫に至るまでの光景は、ガス漏れ、家屋の倒壊、阪神高速道路の橋脚の落下、自動車の横転、火災と、想像を絶したものでした。この間、私は車のラジオで被害情報を聞き、職場に到着してからの「現場調査の指示手順」を考えていました。
 職場に到着すると、自力出勤してくる社員と現場把握に当たりました。そして、その日のうちに、神戸保線区に現地対策本部を設置し、復旧体制を整えました。また、社員は、交通事情が悪いため、連日職場に泊まり込みました。電気、ガス、水道、電話が使えず、大きな余震が度々あり、眠れぬ夜を過ごしていた私たちは「頑張ろうな」と声を掛け合い励まし合ったものです。
 JR神戸線の主な被害は@住吉・六甲道間のスラブ区間は(軌道の枕=まくら=木と道床にあたる材料として、鉄筋コンクリートスラブ=板=を用いている)4線(延長2.2`)が落下A新長田構内の電車線2線(盛土区間0.6`)の線路が宙づりB三ノ宮構内の架道橋橋台が一部破壊C橋りょう・架道橋前後の線路が宙づり多数−でした。
 これらの被害に対し、現地対策本部で連夜の打ち合わせを行い、復旧の手順を検討し翌日の復旧工事を推進していきました。その中で、効果的であった事柄として@全社をあげた広範な支援A協力業者の集中大量投入Bマルタイ(マルチプルタイタンパー=自動で道床のバラストをつき固める大型機械)、軌陸車などの重機機力の大量投入などが挙げられます。特に、住吉・六甲道間のスラブ復旧と新長田の盛土区間の復旧には、JR社員と協力業者の持てるすべての英知と汗が投入されました。そして、度重なる線路切り替えを乗り越え、すべての者が「鉄道の早期安全復旧」を目指しました。
 私が携わった新長田の電車線復旧では、盛土の崩壊した足場の悪い現場で、いかにレールと枕木を撤去するか。盛土工事を終えた後、莫大(ばくだい)なバラストを短期間のうちにいかに現場に投入するか。新レールと新枕木の運搬と軌道整備は、目標の線路切り替え日に間に合うのかなど、緊急に対処すべき難題がいくつもありました。連日連夜にわたり業者と対応を検討し、知恵を絞りだし、ぎりぎりの施工が続きました。また、4級線(線路は輸送量、列車速度の重要度により1級線、2級線、3級線、4級線に分類されている)である山陽本線の貨物線の一部を補強し切り替え、使用したことも、特筆すべき知恵でした。
 現場では、全線復旧を合言葉に、土木、軌道、電力、通信の工事関係者が、連夜、工事工程の調整をしながら、並行作業が続きました。同じ現場でひしめき合いながら、共にタイム・リミットという壁と向かい合いました。
 震災発生から4月1日の全線復旧までの74日間を、短時間で語り尽くすことはできませんが、私は、社員の@復旧に対する強い使命感A「頑張ろうな」という連帯感B責任感あふれた一人一人の目を、忘れることができません。「地域」と「利用客」に喜んでいただける「JR西日本」の1nが、多くの支援者のおかげで、こうして達成できたことに、私は今、感謝の思いでいっばいです。
 つねいし・よしかず氏 1952年生まれ。1977年、国鉄入社。現在、西日本旅客鉄道(JR西日本)神戸保線区兵庫管理室長。(京都新聞)
■窓 毎朝心地よい駅員さんの声 長岡京市・土佐保子(会社員・42)
 今日、帰宅時やっと「あの方」の胸の名札を瞬間だが見ることが出来てうれしい気持ちになった。「あの方」とは、私がいつも利用しているJR向日町駅の駅員さんのSさんである。
 先日の窓欄にJRの職員さんのことが掲載されていたが、投書を読んで思わず「これは、どうしてもJR向日町駅の駅員さんのことを知ってもらいたい」と思い、ペンを取らせて頂いた。
 毎朝、今日こそ私の方から先においさつしよう…と、意気込んで改札の所に来るのだが、いつもSさんに「お早うございます。はい、どうぞ」と、人なつっこい笑顔で言って下さる。多勢の人が利用する中、一人一人に声をかけて下さるSさん。持って生まれた天性の人格者とは、こういう人の事だろうか…と思ってしまう。これから出勤という「イヤな時」に、どれだけ私の心を和ませてくれたことだろう。
 Sさんだけではない。駅長さん(帽子の色が違うので、私が勝手に思っているのかもしれないが)はじめ、駅員さんは本当に皆さん声をかけて下さる。私は、こんな感じのいいJR向日町駅から離れられない。(京都新聞)
■ガラガラはるかで 荷物送ります!! JR西日本京都−関空間
 JR西日本が11月1日から、京都−関西空港間の特急「はるか」を使って小荷物を駅のカウンターまで運ぶ「はるかレールゴーサービス」を始める。JR京都駅では、トランクなどの荷物を関空行きの「はるか」に預けられる京都シティ・エア・ターミナル(CAT)が設けられているが、利用者が少なく、「はるか」の荷物室はがらがら。同室の有効利用を考えたアイデア商法だ。
 京都の土産物をターミナルビルのテナントで販売するため関空に送ったり、関空に到着した旅行者が荷物を先に京都に送って大阪見物する、といった利用方法がある。
 JR京都駅は、去年9月の関空開港に合わせ、駅で日本航空と日本アジア航空の搭乗手続きができ、荷物を「はるか」に預けて手ぶらで関空に行ける京都CATを始めた。ところが、利用できる航空会社は2社だけで、便数も全体の3分の1程度。1列車で30−40個の荷物を積める「はるか」の荷物室には、平均3、4個しか入っていない。
 料金は荷物1個当たり10`まで820円、20`まで1030円、30`まで1470円。同社は、1日20−30個の利用を見込んでいる。(朝日新聞)
26日■大原−比叡山 ロープウエー「京阪」断念 歴史的特別保存地区 都計審指定承認で
 京都市は25日、左京区大原の三千院一帯を新たな開発や建築を原則禁止する「歴史的風土特別保存地区」に指定することを市都市計画審議会に諮問、承認された。これに伴い、三千院付近から比叡山までのロープウエー建設を計画していた京阪電鉄(本社・大阪市)は、ルート変更を含め、計画を全面的に取りやめることにした。
 京阪は1991年に地元に計画を説明。三千院近くから比叡山の横川駐車場までの2.8`を、165人乗りのゴンドラ2つを走らせ、7−8分で結ぶ予定だった。
 地元では賛否両論があった。観光関連業者などは観光客増を期待し、寂光院や周辺住民は「景観を損なう」と反対していた。
 京都市も景観の観点から京阪に計画の再検討を求めていた。さらに、市は今年7月、三千院一帯を現行の「歴史的風土保存区域」より規制が厳しい「特別保存地区」に指定する都市計画素案を発表。この日の市都市計画審議会の了承により、本年度末に京都府都市計画地方審議会の答申を得たうえで、来年6月までに指定される。
 このため、京阪は内部で検討の結果、「4年越しの計画で取りやめは残念だが、市の方針がある以上やむを得ない」(内田敏雄総務部次長)として計画を撤回することにした。(京都新聞)
■4年越しの景観論争に幕 大原−比叡山ロープウェイ計画撤回 反対の声に勝てず 地域活性の課題も残す
 「景観を守れ」の声に押され、京都・大原の三千院付近から比叡山を結ぶ京阪電鉄のロープウエー計画が消えた。景観保全を重視した京都市の方針を受け止めた結果だ。しかし、地元では計画に反対の声がある一方で、観光客誘致への効果を期待する面もあった。4年越しの景観論争を巻き起こしたロープウエー計画は、観光都市でもある古都・京都での保全と開発の問題の難しさを、改めてみせつけた。(政経部 永島宣彦、大橋晶子)
・賛否相半ば
 「大原は国民の安らぎの地であり、ロープウエーはふさわしくない。一度、環境を破壊したら元には戻らない。景観保全を望む大勢の真心が通じたと思う」。計画反対を強く訴えてきた寂光院の小松智光門主は、計画撤回を率直に喜ぶ。
 1991年7月に、京阪が説明会を開いて以来、地元では賛否が相半ばした。交渉の窓口だった大原自治会(久保達彦会長)は、その状況を京阪側に伝えていた。今月上旬、京阪から正式に計画を取り止めるとの文書が届き、自治会役員会で了承した。
 建設予定地一帯は、市風致地区条例による第一種地域で、国指定の「歴史的風土保存区域」でもある。建物の高さや色を含め建築、開発は一定の規制がある。ただ、これだけでは、自然景観との調和を保つことを条件に、ロープウエー建設は基本的に可能だった。
 京阪は京都市と事前相談しながら、地元と話し合いを続けた。当初の市の判断は「景観保全上ではマイナスでしかない」。京阪側は修正を加えた完成シミュレーションを昨年6月に提示した。ここでも市は「まだ問題がある。景観は『見える』『見えない』の問題。計画では見えすぎて景観を損なう恐れがおる。ルート変更を含め再検討してほしい」だった。
 この間、93年秋に、大原自治会は住民アンケートを実施。約6割が賛成だったが、回収率が35%と低く、自治会としても態度を決められなかった。
 一方で、境内からの借景の中にロープウエーが入る寂光院や周辺住民有志から「景観を損なう」と反対の声が強まった。約5万人の反対署名を集め、昨年9月には、田辺朋之市長に建設反対を申し入れた。京阪電鉄は、駅舎や支柱の規模、色彩なども市の指導を受け、景観には十分配慮し「地元の同意が得られれば計画を進めたい」としていた。
・規則を強化
 ところが、今年7月に大きな転機が訪れた。市が予定地を含む三千院一帯240fを「歴史的風土保全区域」より規制が厳しい「歴史的風土特別保全地区」に、新たに指定する都市計画素案を示したためだ。
 これに指定されると、古都保存法で観光用のロープウエー建設は認められない。このため京阪は、ルート変更を含めロープウエー計画そのものを撤回する方針を決めた。地元の同意が得られなかったことや当初計画のルートが観光客需要(採算)、景観などの点で、これに代わる適当なルートはないとの判断からだ。
 内田敏雄・同電鉄総務部次長は「地元の活性化につながると考える住民もいるが、反対もある中で大きな声で『賛成』と言いにくい面もあったと思う。反対がある以上、強引なことはしたくない」と、残念そうに話す。
 京都市は「京阪との相談には乗ったが、計画撤回についてコメントする立場にはない」(三宅典雄風致保全課長)という。
・主役は住民
 地元には、観光客誘致のためロープウエーへの期待もあった。三千院や寂光院がある大原は、京都の観光スポットの1つ。しかし、約10年前のピーク時には年間120万人あった観光客が一時は60万人に減少。近年はやや回復傾向にあるものの約80万人だ。
 こうした事情を背景に、地元の土産品店や民宿でつくる大原保勝会(山本英和会長)の中には「ロープウエー建設で多くの観光客をひきつけ経済効果がある」と推進を求める声もおった。一方で「風致破壊という悪いイメージを与え、逆にマイナスになる」との反対意見も出た。
 保勝会の西川武久副会長は「賛否両論で、自治会にも保勝会としての立場は表明できなかった」と複雑な表情をみせつつ「あらゆる手だてで観光客を増やす努力をしていく」と話す。
 「地域に生活する住民の環境がいかに守られるか。自治会はそれを物差しに物事を考えるだけだ」。大原自治会の久保会長は、ロープウエー計画撤回について冷静に語る。
 住民にとって大切なのは快適な生活環損だ。景観保全もそうだが、地域の活性化や利便性の向上も、また必要だ。その意味で、今回のロープウエー計画でみられた議論は、古都・京都全体に課せられたテーマを象徴していたと言える。(京都新聞)
■私の提言 よみがえれ神戸 レールをつなぐD 目前に砂煙、電車浮いた 中嶋 康正
 平成7年1月17日午前5時46分、私は回送電車(スーパー雷鳥)に乗務していました。まだ薄暗く、肌寒い日でした。
 電車は、大阪駅を後に鷹取駅に向かい走行中、まもなく三ノ宮駅通過、速度は、およそ100`でした。突然「ドオーン」と言う音と同時に電車と一緒に私の体も宙に浮き上がり、慌てて非常ブレーキを取り、「ガタガタ」と大きな音を立て、左右に揺れながら電車は停車しました。目の前は、砂煙が舞い上がり一面は、真っ暗、明かりひとつない暗黒の世界になっていました。何があったのか、何でこうなったのか、全然わかりませんでした。
 今、自分がやらねばいけないことは、併発事故防止のための列車防護でした。防護無線のスイッチを押し、信号炎管片手に車両点検をしながら後方に向かいました。心の中では、何もなかってほしい、と言う思いがありましたが、無情にも現実は、悲惨な状態でほとんど脱線でした。最後部に到達したところ、上り内側線に停車している普通電車の車掌から地震だということを聞き、初めて地震の発生を知り、今まで張り詰めた気持ちが、一瞬のうちにやわらぎ、次の瞬間腰が崩れそうになりました。しかし、一報を入れたいが、無線機、沿線電話は不通のため三ノ宮駅でやっと一報を入れることができました。
 夜が明け周りが明るくなるにつれて地震による惨事がはっきりと目に映り、すさまじい光景が肌で感じ取れ、地震の怖さをひしひしと感じました。そして職場に戻るため、タクシーに乗り込んだのは午後4時ごろでした。しかし道路は、大渋滞で、車の中で一夜を過ごすことになりました。余震の続く中、聞こえてくるのはサイレンの音ばかりで、そのことが大惨事を物語っていました。
 翌朝9時ごろから阪神西灘付近から西宮北口までがれきの中と線路の中を歩き、職場に到着した時間は午後2時ごろでした。私は27時間ぶりに食事を取りました。ひと口食べた時のあの感激、食べ物のありがたさが、この時はど強く感じた時はありませんでした。私の長い一日は終わりました。しかし、これからが試練の始まりでした。
 私は5時間以上かけ職場に行き、ほとんど泊まり込みの生活でしたが、仕事が出来るありがたさがあるため、苦になりませんでした。1ヵ月、2ヵ月と経過するにつれ時間も短縮され、3ヵ月余りで、他社よりも早く全通できる驚異的な復旧、復興に改めてJR西日本のすばらしさ、すごさを感じました。これも全社員が一丸となって、一日も早く利用客のためにJRを復活させようと取り組んだ結果だと思います。
 また、この震災で感じたことは、人間は一人では生きられないということ、また生活での水の大切さ、いま人間が破壊しようとしている自然の恐ろしさもはじめて感じました。
 震災から9ヵ月がたち、今では何もなかったかのように平和に暮らしていますが、あの時の思いは、一生忘れないと思います。いや、神戸の人々は忘れてはいけないと思います。神戸のシンボルでもある六甲山から見るすばらしい神戸の夜景、神戸の町を一日も早く復活し、これからは地震に負けない町にしていただきたいものです。
 なかじま・やすまさ氏 1961年生まれ。1980年、国鉄入社。京橋車掌区車掌を経て、現在、西日本旅客鉄道(JR西日本)大阪電車区運転士。(京都新聞)
■「逃げ回る気か」怒る遺族 引き延ばし作戦だ 罪認めさす日 また遠のいた
 初公判で麻原彰晃被告がどんな姿を見せるのか。かたずをのんでその日を待っていた被害者に届いた裁判延期の知らせ。「引き延ばし作戦だ」「逃げ回る気か」。遺族らから怒りの声が上がった。
 地下鉄サリン事件で死亡した埼玉県大宮市の営団地下鉄車掌だった菱沼恒夫さん=当時(51)=の妻美智子さん(51)は「弁護対策を練り直すための時間稼ぎだと思う。裁判で罪を認めてくれることを待ち望んでいるのに、その日がまた遠のきました。悔しい。腹が立って仕方ありません」と強い口調。
 「横山弁護士が交通事故に遭ったのも、初公判を引き延ばすための作戦で、うまくいかなかったから解任したのでは。教団は本当に信用できない」と声を震わせた。
 同事件でやはり死亡した営団地下鉄霞ヶ関駅の助役だった高橋一正さん=当時(50)=の妻シズエさん(48)は、初公判を傍聴しようと傍聴券抽選の列に並ぶ予定だったという。「主人は事件のことを何も知らずに死んだ。傍聴券は当たらないだろうけど、わたしが麻原を見ることで、主人もわたしを通じて麻原を見るかもしれない。事件のことを確認したかった」と被害者の心情を吐露。
 「引き延ばし工作なのだろう。どこまで落ちた人間なのか。裁判を待つ側として延期などさせない手段を講じてほしい」と話していた。
 松本サリン事件で二男の会社員小林豊さん=当時(23)=を亡くした静岡県掛川市の父親巌さん(59)は「麻原被告もオウムも、やることなすことすべてがでたらめ。今はそれしか言えない」と言って黙り込んだ。
 坂本弁護士の妻だった郁子さん=当時(29)=の父親で茨城県ひたちなか市に住む大山友之さん(64)。「これから始まる裁判の記録は何度も何度も読んでみようと思っていたが。引き延ばせば済むと考えているのでしょうか。恥も外聞もない集団の教祖と言ってしまえばそれまでですが…」と絶句した。
・京でも驚き、怒り
 麻原被告の初公判延期のニュースに、京都市下京区のJR京都駅でも25日夜、驚きや怒りの声があがった。
 京都観光に来ていた福岡市の会社員江村睦子さん(50)は「電光掲示板でニュースを知ってびっくり。教団のトップこそ一番先に真相を明らかにすべきなのに。同じような手段で今後も裁判が延び延びになったら許せない」と憤った。帰宅途中の京都市左京区一乗寺の会社員渡辺和彦さん(38)は「横山弁護士の解任後、私選弁護人を引き受ける人がいるのだろうか。国選弁護人を付けて、もっとスムーズに裁判を進めていかないと」と話していた。(京都新聞)
■オウムに賠償提訴 地下鉄サリンの第一次
 地下鉄サリン事件はオウム真理教の組織的犯行だとして、同事件の犠牲者6人の遺族と15人の被害者本人が25日、教団と教祖の麻原彰晃被告(40)=殺人罪などで起訴=ら15人を相手に総額約6億8000万円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こした。同事件の被害者、遺族による損害賠償請求訴訟は初めて。
 原告はこの後も増え、二次、三次と提訴が続く見込み。
 東京都内で25日、記者会見した「地下鉄サリン事件被害対策弁護団」の宇都宮健児弁護団長は「地下鉄サリン事件は無差別テロを狙った前代未聞の憎むべき犯罪。被害者は、一家の支柱を失ったり、後遺症に悩み続けている。5500人の無念さや恨みを背負った訴訟だ」と説明した。(京都新聞)
■登校の中2生 電車にはねられ死亡
 25日午前8時半すぎ、大山崎町円明寺金蔵、JR東海道線の線路上で、同町円明寺殿山、高校教師後藤陸司さん(44)の次男で町立大山崎中学2年の昌樹君(14)が、新大阪へ向かっていた回送電車(4両)にはぬられ、全身を強く打って死亡した。
 向日町署の調べでは、現場は同中学校の北側約200b。登校時刻は8時35分とされており、昌樹君は近道をしようとして線路を横切ったらしい。
 回送電車は現場に22分停車し、下り列車10本が5−29分遅れた。(朝日新聞)
■遺族ら賠償請求 地下鉄サリン29人で7億円
 地下鉄サリン事件の被害者のうち、死亡した6人の遺族14人と中毒症になった15人の計29人が25日、オウム真理教と、事件で殺人罪などで起訴されている代表の麻原彰晃被告(40)ら12被告、それに手配中の信徒3人の計15人を相手取り、総額約6億8000万円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こした。提訴準備中の被害者も少なくなく、弁護団は二次、三次の提訴をする構えだ。
 訴状は、24日に開かれた「法皇内庁」トップ中川智正被告(33)の検察側冒頭陳述を踏まえ、「事件は、麻原被告を頂点とした教団ぐるみの犯行で、教団の教義の実現と強制捜査を避けるという組織防衛のために起こされた」と指摘。「実行犯」の責任はもちろん、被告らは教団の指揮下で「宗教的行為」として犯行に加わったのだから、教団にも民法上の不法行為責任(使用者責任)などがあると主張している。各原告の請求額は80万円から1億円を超える額まで、被害の程度により幅があるという。
 提訴後に記者会見した原告弁護団は「地下鉄サリン事件は、前代未聞の無差別、大量テロで、オウム真理教がかかわる事件の中でも象徴的な事件。5500人にのぼる被害者の無念さを背負った訴訟だ」と述べ、すべての被害者に「泣き寝入りせず、被害の軽重にかかわらず、訴訟に参加してほしい」と訴えた。
 記者会見には、相手方に手配中の信徒が含まれていることなどを配慮して、原告本人は一人も出席しなかった。代わりに弁護団が「提訴はお金の問題ではなく、オウムに対して何かをしなければ気が済まないという気持ちから」(6日間入院した20歳代の女性)、「夫を亡くしてから心の休まる日は一日もない。一日も早くオウムが解散し、麻原被告や幹部も罪を認めて、被害者に責任を取ってほしい」(遺族)など、原告たちの提訴に至った「心境」を読み上げた。(朝日新聞)
■京の新しい玄関口に 中核ビル起工式 山科駅前再開発
 京都の「東の玄関口」の拠点として京都市が進めるJR山科駅前再開発事業で、商業・文化の中核施設となる再開発ビルB棟(仮称)の起工式が26日午前、京都市山科区竹鼻竹ノ街道町の建設予定地で行われた。
 起工式には、京都市や地元関係者ら約250人が出席した。田辺朋之市長が「市の総力を挙げて取り組んでいる山科駅前の再生は、京都のまちづくり全体にも影響を与える」と事業推進へ決意を示した。山科駅前まちづくりの会の奥村俊一会長も「地元の商店街が一丸となり、21世紀に向けた『心のある商い』を目指していきたい」と、喜びと期待を込めた。
 山科駅前再開発事業は、地下鉄東西線建設に合わせて整備し、ターミナル機能を充実させる。B棟は、4つの再開発ビルの中核となる。地上9階、地下3階建て、延べ床面積は約5万700平方b。大丸と地元商店でつくるショッピングゾーンをはじめスポーツ施設、分譲住宅などを備え、1998年6月に完成の予定。(京都新聞 夕刊)
27日■不採用の4人救済 JR2社に命令 神奈川事件で中労委
 1987年4月の国鉄の分割・民営化にからんで、JR東日本、JR貨物の両社と国労が争っている「神奈川不採用事件」について、中央労働委員会(中労委)は27日、関係労使に命令を交付した。命令は、救済を申し立てた国労組合員9人のうち、6人の不採用について不当労働行為があったと認め、うち国鉄清算事業団を90年4月に解雇された4人に限って、87年にさかのぼる採用や賃金の後払いなどの救済をJR側に命じている。
 命令は、6人のうち既にほかへ再就職している2人を除いている。(朝日新聞 夕刊)
28日■JR西日本2年連続の上場見送り 被災と市況低迷続く
 JR西日本の株式上場が27日、正式に見送られた。国鉄の分割民営化から9年目。井手正敬社長は「上場は完全な民営化の仕上がり」と位置付け、年度内の上場を目指してきたが、阪神大震災による損失で上場基準には届かず、2年連続での見送りとなった。
 上場基準は、直前の決算でも経常利益が資本金の40%以上あることや、1株当たりの利益が一定の水準を3年間にわたって満たす必要がある。
 JR西日本の場合、阪神大震災で収益の柱である山陽新幹線や、東海道・山陽本線が被災した。この結果、1995年3月期の経常利益は、前年比62.7%減の204億円で、資本金1000億円に対し約20%にとどまり、基準割れとなった。
 JR西日本は94年3月期決算では、上場基準は満たしていた。しかし、大蔵省は、低迷が続いていた株式市場で大量の株式売却が行われることを懸念し、上場が見送られた経緯がある。
 今回も同様の懸念が関係者らに強まっていた。このため、「基準割れでも上場を」と、特例措置を求めてきた井手社長自身も秋口から、「上場は難しい環境」との見方を示していた。
 JR西日本の関係者は、正式な見送りについても、特殊要因での見送り、と比較的冷静に受け止めている。また、当面は大規模な新線計画など資金需要もないため、「今後の経営に大きく影響するものではない」(南谷昌二郎副社長)と、来年度の早い時期の上場を目指すことにしている。(朝日新聞)
■新車両で復興へ出発 阪神で試乗会 車体の色も変更
 阪神大震災で多くの車両が被害を受け、新しい車両の製造を急いでいた阪神電鉄の新型車両(4両1編成)が完成し、28日、阪神本線の尼崎−元町間で試乗会があった。車体は、明るい青と淡いグレーの2色で、36年間続いていたクリーム色とマリンブルーの「阪神カラー」を変更した。震災の悲劇を乗り越え、新たに出発するという願いを込めたという。
 試乗会には、3257人の応募があり、抽選で選ばれた320人が参加。午前10時10分に尼崎駅を出発すると、ホームから拍手が起こった。
 阪神電鉄は、震災で314両あった車両のうち126両が被害を受けた。修理したものの6月26日の全線開通時に運行できた車両は258両しかなかった。
 11月1日から、普通電車として阪神本線で営業運転する。(朝日新聞 夕刊)
29日■「のぞみ」立ち往生 トンネルの中で停止
 28日午後9時43分ごろ、博多発新大阪行きの新幹線「のぞみ502号」(16両、乗客約250人)が神戸市須磨区を走行中、運転席にある事故表示灯が点灯した。運転士がリセットして走行を続けたが、9分後に六甲トンネル内で停止した。列車はトンネル内で約20分間立ち往生したが、午後10時11分に運転を再開した。
 JR西日本によると、同8時34分ごろ、新大阪−新神戸間にある新六甲変電所が瞬間的に停電したのを東京指令所が確認。その後も数回、瞬間的な停電が繰り返された。その間、神戸市須磨区を通過した何本かの列車に事故表示灯が点灯したが、停止までには至らなかったという。
 JR西日本は後続列車を新神戸−西明石間で徐行運転させているため、後続列車にも遅れが出ている。同社で原因を調べているが、同社によると、瞬間的な停電だけで列車が止まることはないという。(朝日新聞)
30日■ひまわり号に夢と歓声乗せて 列車の旅 障害者ら満喫 京都−宝塚 遊園地で お弁当や散策も
 日ごろ、遠出の機会が少ない障害者らにレールの旅を経験してもらう専用列車「京都ひまわり号」が29日、JR京都駅から宝塚駅の間を夢を乗せて走った。車内で歌やゲームを楽しんだほか、宝塚では遊園地で思う存分に遊び、秋の1日を満喫した。
 福祉施設の職員らボランティアで作る「ひまわり号を走らせる京都実行委員会」の主催。この列車は旅を通じて、障害のある人が、駅にエレベーターや障害者用トイレがないため、電車に乗りにくい交通事情の改善を訴えようと走り続けている。今年で13回目を数える。
 すっかり恒例行事となり、障害児(者)90人に、その家族やボランティア合わせて約300人が参加。京都駅ではボランティアが車イスを押しながら駅のホームへ。4両に分かれて乗車し、電車が出発すると「ワーイ」と歓声が上がった。車内ではさっそくギターの伴奏に合わせて歌を合唱したり、ゲームで遊んだりと、大勢の仲間ではしゃぐ列車の旅ならでは楽しさを味わった。
 宝塚では20班に分かれて、遊園地の宝塚ファミリーランドを散策。お弁当を食べたり、メリーゴーランドなど数々の遊具に乗って、障害者らは久しぶりの遠出の一日を楽しく過ごした。(京都新聞)
■青春改札口 中学生のページ 森のひみつ 山おくと都会つないだ鉄道
 写真を見てください。森林の中を、ディーゼル機関車が走っています。これは長野県の木曽の国有林をむかし走っていた森林鉄道です。たくさんの丸太を積んでちょうどトンネルを出てきたところです。
 日本ではじめて森の中に鉄道がしかれたのは、1906年、青森県津軽の国有林でした。その後、北海道、長野、秋田、高知、熊本県の国有林や民間の森林で続々と鉄道がしかれ、機関車がかつやくするようになりました。重くて大きい木材を運び出すのはむかしから苦労の種で、かたに担いで運んだり、いかだにして川を流したりと、大変だったのですが、森林鉄道は、そうした苦労をいっぺんにふっ飛ばしたのです。
 20世紀は、戦争や、日本経済の急成長のおかげで、木材はいくらあっても足りないくらいでした。森林鉄道は、急速に増えた木材需要にこたえて、おく地の森林から、どんどん木材を運び出しました。
 山に住む子どもたちにとっては、森林鉄道の機関士になるのがゆめでした。1950年に私が木曽で調査したとき、「将来、森林鉄道を動かしたい」という声をいくつも聞きました。なにしろ、山に入ったはじめての大きな機械文明です。木材を運ぶ仕事はけたちがいに楽になりました。
 また鉄道は、都会と山おくとをいとも簡単につなぐ通路でもありました。山の人々は、この鉄道で町の学校や店に出かけました。私は、山から都会へいく花よめさんと乗り合わせたことがあります。
 ただし、この鉄道は非常に危険でもありました。なにしろけいしゃの急な山道の急カーブのレールを、重い木材を満さいした貨車が走るのです。転ぷく・だっ線は当たり前のことで、私が乗ったときは木材を積んだ車両と客車を一緒につないだなかなか危ない編成でしたので、「事故がおっても文句は言いません」とちかって乗ったものです。でも、その危険な面も承知で、山の人たちは森林鉄道を必要としていたのです。
 しかし、こうした森林鉄道の時代は、それほど長く続きませんでした。1960年代に入ると、自動車が主流になり、森林鉄道も次々と廃線になってトラックに変わっていきました。鉄道は過去のものになり、今では、写真の中で走るだけとなっています。(多摩美大・筒井迪夫)(京都新聞)
■地下鉄火災、300人死亡 アゼルパイジャン 首都のバクー 走行中に発火
 【モスクワ29日=塩原俊彦】アゼルバイジャンの首都バクーの地下鉄で、28日午後6時前(日本時間同日深夜)、走行中の車両が燃え出し、やけどや窒息により約300人が死亡した。イタル・タス通信はインサノフ保健相の話として、少なくとも289人が死亡、269人が入院したと伝えた。このうち、62人は重傷。煙に巻かれたうえ、照明が消えてパニック状態になった満員の乗客が窓ガラスを割って脱出しようとし、大混乱に陥った。
 警察当局の話では、5両編成の列車がバクー中心部から北東にあるウルドウズ駅を発車後、約200bの地点で速度を上げたところ、3両目の車両のモーター部分から発火し、4両目に燃え移った。構内に一酸化炭素などが充満した。
 アゼルバイジャンの独立系通信社、トウラン通信によると、モーター部分の故障、電線か車内配線のショートのいずれかが原因との見方が強い。11月12日に議会選挙を控えているところからテロの可能性も否定できない。
 アリエフ大統領は28日、アバソフ副首相を長とする調査特別委員会の設置を決めた。大統領令により、29日と30日を国民服喪の日とした。
 バクーでは、1994年3月19日と7月3日に、テロリストによるとみられる地下鉄事故で、合計約20人が死亡している。
 アゼルバイジャンでは、議会選挙を控えて、アリエフ政権と野党の対立が高まっている。(朝日新聞)
■声 JRの3社は暫定値上げで 笠岡市 山下 坦(無職 64歳)
 JR北海道、四国、九州3社の運賃値上げが申請された。1987年の民営化以来初めてという。たびたび値上げを繰り返した旧国鉄時代から考えると、よく頑張ったと評価したい。
 値上げの理由の大部分は、3社の経営難を予測して設けられた合計約1兆3000億円にのぼる経営安定基金の利息収入が、たび重なる低金利政策のため目減りしていることによるという。定期預金の利率をもとに推計すれば、3社で年間数百億円の減収になる。
 そこで認可に当たる運輸省にお願いしたい。改定運賃を、低金利にかかわる部分とそうでない部分とに分け、低金利にかかわる部分は金利が上がるまでの暫定運賃とすることである。さもないと、我々は値上げを強く記憶にとどめ、高金利(まともな金利)政策に転じた時は値下げを厳しく要求しなけれはなるまい。
 低金利政策によって生活苦を余儀なくされている老人はもとより、事業量を大幅に縮小したり、破たんに瀕(ひん)したりしている財団法人や各種年金、基金の財務悪化を為政者はどのように考えているのか改めて問い直してみたい。(朝日新聞)
■シートがはがれて 架線と接触が原因 「のぞみ」の立ち往生
 山陽新幹線の六甲トンネル内で28日夜、停電のため博多発新大阪行き「のぞみ502号」が立ち往生し、後続の上下19本が遅れた事故で、JR西日本は30日、トンネルの壁面から炭素繊維製のシート材がはがれ、架線に接触したため停電したと発表した。
 同社によると、はがれたシート材は180a×10a。阪神大震災で亀裂が入った壁面を補修した後に接着剤で覆っていたが、接着が不十分だったらしい。(朝日新聞 夕刊)
31日■阪神の5電鉄共通券の愛称 スルッとKANSAI 向日の上田さん作品
 阪神地区5電鉄の乗り降りに、来年3月から1枚のプリペードカードが共通使用できるようになるストアード・フェア・システムの愛称が30日、「スルッとKANSAI」に決まった。
 新システムには阪急のほか、大阪市交通局(地下鉄、バス)、阪神電鉄、能勢電鉄、北大阪急行電鉄が参加する。実施に先がけて今夏、5社共同で愛称を募集したところ、計7114通の応募があり、向日市の会社員上田高士さん(26)の作品が選ばれた。審査では「切符を買い替える手間もなく、手軽に改札口を通り抜けられる感じがよく表れている」と評価された。
 このシステムは、鉄道計237駅、バス停計932ヵ所で利用でき、国内では最大規模となる。(京都新聞)
■「爆弾テロ」か バクーの地下鉄火災
 【バクー30日=AFP時事】アゼルパイジャンの首都バクーの地下鉄で28日起きた車両火災の原因を調べている捜査当局者は30日、火災はだれかが仕掛けた爆弾の爆発で引き起こされたものであるとの見解を示した。国営テレビに語ったもので、火災で有毒ガスが発生し、窒息による被害が大きかったという。
 国営テレビも、火災は爆発によって起きたとの生存者の証言を伝えた。
 当局は火災による死者を286人と発表しているが、病院関係者によれは、死者は337人、負傷者は269人に達している。遺体安置所には身元不明の遺体約50体が置かれているという。(朝日新聞 夕刊)